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連載「変革の人 小泉三代記」(2001年)
変革の人・小泉家三代記(16) 暴論は正論-育てた人脈と師弟愛

連載 | 神奈川新聞 | 2024年9月27日(金) 12:22

 2001年4月、神奈川出身者として初の総理大臣となった小泉純一郎。そこに至るまでの小泉家親子三代の歴史は、日本政治史の「縮図」でもある。純一郎の祖父・又次郎(元逓信相)、父・純也(元防衛庁長官)の足跡をたどりながら「小泉首相誕生」までの底流を探る好評連載の復刻版。2024年9月、純一郎の次男、進次郎を含む史上最多の9人が出馬した自民党総裁選が行われる中、いま一度、小泉家の源流をさかのぼる。

 現在の観点では不適切な表現や状況が異なる事象もありますが、紙面掲載当時の表現、表記をそのまま掲載しています。

2001年6月1日掲載

福田赳夫(右)に伴われ、福田の娘婿・越智通雄(中央)とともに初登院した純一郎=1972年12月22日

 「福田赳夫さんに学べ」

 1969年春、ロンドン留学中の首相・小泉純一郎(59)は父・純也からの手紙を受け取る。「『おれに何でも言ってこい』というタイプだったおやじがどうしたのだろうかと思った。その時にはすでに病魔に侵され死を覚悟していたのだろう」と純一郎。69年8月、葬儀のため帰国。弟の正也(56)からも「福田さんに付け」との父の遺言を伝えられた。

 当時蔵相の福田とは、純也の葬儀のときが初対面。総選挙出馬(同年12月)にあたっては大臣室にあいさつに出向く。「『がんばんなさい』と励まされたが、相手は大物だと思っていたからこっちはコチコチだった」。田中角栄との「角福戦争」、そして竹下、小渕、橋本派という田中派の流れをくむ派閥との対決。福田を師に選んだ純一郎は以後、「数は力」という党内最大勢力と戦い続けることになる。

「政治家として大化けする可能性」

 

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