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【減災新聞】災害史(中)巨大地震 周期解明へ研究進む

減災 | 神奈川新聞 | 2019年5月5日(日) 09:34

明応関東地震の証拠となる津波堆積物が発見された三浦市の白石洞穴(白石洞穴遺跡学術調査団提供)
明応関東地震の証拠となる津波堆積物が発見された三浦市の白石洞穴(白石洞穴遺跡学術調査団提供)

 歴史上、大きな被害をもたらした地震は元号とともに記憶されてきた。江戸時代の「元禄」年間には、相模トラフでマグニチュード(M)8級の元禄関東地震が発生。「宝永」へ改元されたが、南海トラフで最大級の宝永地震が起きた。こうした地震履歴の解明は将来リスクの絞り込みに欠かせず、古文書の記述や地形の痕跡などを突き合わせる地道な研究が進む。時代をさかのぼるほど証拠がそろえにくいといった課題はあるが、今後、過去の地震がさらに“発掘”され、地震史が書き換えられる可能性もある。

 相模湾から房総沖へ延びる相模トラフと、静岡・駿河湾から紀伊半島沖、四国沖へと延びる南海トラフにはそれぞれ、南側からフィリピン海プレートが沈み込んでいる。年間数センチというスピードだが、日本列島が乗る陸側のプレートが引きずり込まれているため、地震を起こすエネルギーが長い時間をかけて蓄積されている。

 このひずみが限界に達すると、巨大地震の発生につながる。

 歴史上、最古の南海トラフ地震は、飛鳥時代後期の684年に起きた「白鳳地震」だ。

 「日本書紀」には、伊予で温泉が埋もれ、土佐では田畑が没して海となり、さらに津波が押し寄せたとの記述がある。南海トラフの巨大地震だったことが確実視されている。

 白鳳地震を含め南海トラフでは、昭和に起きた1944年の昭和東南海、46年の昭和南海の両地震まで9回の発生サイクルが確認されている。2年差だった昭和東南海と昭和南海と同じように、幕末の1854年にも安政東海と安政南海が約32時間の差で「連動」。こうしたケースは、発生サイクル上は1回としてカウントされている。

 安政の連動では、後発の安政南海時に稲わらに火を放ち、高台への津波避難の目印とした広村(現和歌山県広川町)の逸話「稲むらの火」が知られる。また、この地震を受けて「嘉永」から「安政」への改元が行われた。

 M8級を繰り返し発生させてきた南海トラフの中で最大級だったのは、1707年の宝永地震だ。津波は四国から伊豆半島にかけての広い範囲で5メートル以上に達し、地震規模はM8・6だったとも分析されている。

 この地震の4年前の1703年に相模トラフで起きた元禄関東地震では、高い津波に襲われた外房で多数の犠牲者が出た。

 元禄から宝永への改元をはさんで巨大地震が連続する苦難の時期となったが、さらに宝永地震の49日後に富士山で「宝永噴火」が始まった。16日間続き、大量の火山灰が江戸や横浜に降り注いだ。死者は出なかったとされるものの、農地への降灰で耕作ができなくなるなどの影響が広がった。

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