「伝家の宝刀」と呼ばれた左足のFKに創造性あふれる多彩なパスを携え、国内外を渡り歩くこと26年。キャリア終盤は右足首の古傷に苦しんだが、「やり尽くして、すがすがしい気持ち」と語る中村俊輔の表情には一点の曇りもなかった。
体格やスピードに秀でていたわけではない分、誰よりもひたむきに努力を重ねてきた。原動力は「単純にサッカーが好きだし、うまくなりたいという情熱」だ。
常に傍らにあったのは、桐光学園高時代に始めたサッカーノート。横浜Mのユース昇格がかなわなかった悔しさを強い反骨心に変え、居残り練習に明け暮れた。「日本代表で10番」「ワールドカップ出場」。プロ入り後も自らに課したハードルを一つずつクリアし、日本サッカー史に名を残す司令塔に成長した。
夢ある限り、道は開ける─。幼少期に指導者から授かった金言は今も胸にある。現役時代の誇れることについては「目標に向かって単純に努力できたことじゃないかな」と語った。
自らにとってサッカーは「生きがい、全てですね。それに尽きる」。今年いっぱいは横浜FCとの契約を残すため、現役最後の公式戦を終えた今もチーム練習に参加して汗を流している。
「あの人結局、来年もやるんじゃないの、という雰囲気になっているけれど、もう少し練習させてもらう。最後みんなと楽しくボールを蹴れたらと思って」
無邪気に笑う表情は、向上心あふれるサッカー少年そのものだった。(木田 亜紀彦)
「FKはおまけみたいな感覚」
中村俊の一問一答は次の通り。
─引退決断の時期は。
「30代後半からはいつでも引退できるように単年契約にしていた。今シーズンになって足首の状態が良くなかった」
─FKへのこだわりは。
中村俊輔引退 夢を追って26年 完全燃焼のサッカー人生
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引退会見で質問に答える横浜FCの中村俊=横浜市内のホテル(花輪 久写す) [写真番号:1122620]
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引退会見で質問に答える横浜FCの中村俊=横浜市内のホテル(花輪 久写す) [写真番号:1122622]
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全国高校サッカー選手権決勝でプレーする桐光学園高時代の中村(左)=1997年1月8日、国立 [写真番号:1122650]
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W杯ドイツ大会のオーストラリア戦で先制ゴールを決め喜ぶ(左)=2006年6月、カイザースラウテルン(共同) [写真番号:1122649]
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横浜M時代。1999年から背番号10をつけてプレーした=2001年4月 [写真番号:1122651]
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会場に並べられた思い出の品の前で記念写真に納まる横浜FCの中村俊=横浜市内のホテル(花輪 久写す) [写真番号:1122621]