30年目のJリーグ(6)
マリノスあの日あの時 川口選手大人気 専属広報?で密着
横浜F・マリノス | 神奈川新聞 | 2022年6月13日(月) 12:10
Jリーグ開幕前年の1992年に産声を上げ、ことし創設30周年の節目を迎えるJ1横浜M。その立ち上げから長く運営に携わってきた根本正人さんが、忘れ得ない出来事や選手らにスポットを当てながら歴史をひもとく。
広報担当を長く務めたかいもあって多くの選手と触れ合ってきたが、そのうちの一人、川口能活選手は特に思い出深い。
1994年、静岡・清水商高(現清水桜が丘高)から将来を嘱望されて加入。1年目はプロの壁に当たって公式戦の出場はゼロだったが、95年にチャンスが訪れた。
正GKの松永成立選手が当時のソラリ監督と衝突し、突然の退団。背番号1を手に入れた若き守護神は、豊富な練習量に裏打ちされた出足の鋭いゴールキーピングを発揮し、試合を重ねるごとに安定感を増した。
この年のマリノスのリーグ初制覇に大きく貢献し、新人王も獲得。さらには、96年のアトランタ五輪1次リーグのブラジル戦で好セーブを連発し大金星の立役者となると、甘いマスクと実力で一気にスターダムを駆け上がった。
この頃はもうチームの広報というより、川口選手のマネジャー。遠征で移動する際は多くのファンが詰めかけ、川口選手の横にぴったりと張り付き、人垣を分けて歩いた。当時ファンが撮った写真には必ずと言っていいほど私が写りこんでいただろう。申し訳なく思う。