Jリーグ開幕前年の1992年に産声を上げ、ことし創設30周年の節目を迎えるJ1横浜M。その立ち上げから長く運営に携わってきた根本正人さんが、忘れ得ない出来事や選手らにスポットを当てながら歴史をひもとく。

1991年2月、後にJリーグと名付けられるプロリーグへの参加10チームが決まると、閑古鳥が鳴いていた日本サッカー界の環境は大きく様変わりした。
翌92年3月22日、東京・国立競技場であった日本リーグ(JSL)の第21節、日産自動車─読売クラブの一戦に集まった観客は6万人。日産がそれまでホームスタジアムとしていた三ツ沢と平塚でのおおむね3千人前後を考えると、まさに夢のような大観衆だった。
同年元日に行われた第71回天皇杯全日本選手権決勝、読売クラブとの一戦も5万5千人。サッカー熱が急速に高まり、私も含めて関係者はJリーグ開幕へ胸の高鳴りを抑えきれなかった。
「ふざけろ」と怒号
マリノスあの日あの時 Jリーグ化目前 人気急騰で大混乱
天皇杯全日本選手権を制し、喜ぶマリノスイレブン。スタンドから大観衆が見守った=1993年1月1日、東京・国立競技場 [写真番号:1085758]
根本正人 さん [写真番号:1085759]