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フロンターレ麻生アシストクラブ会長・中山茂さん(79)
フロンターレ、ハタチの物語(15)郷土愛という、夢

川崎フロンターレ | 神奈川新聞 | 2016年7月7日(木) 09:52

あなたにとってフロンターレを一言で表すと、という問いの答えは「郷土愛」。スポーツで地域振興をという夢を託している
あなたにとってフロンターレを一言で表すと、という問いの答えは「郷土愛」。スポーツで地域振興をという夢を託している

 フロンターレの練習場の「地主さん」だった。山を削り谷をならして造ったグラウンドは、夢だった。

 川崎市麻生区片平で300年続く農家だ。幻と言われる禅寺丸柿を今につないでいる。1936年の生まれ。小学校低学年のころは戦時中だった。終戦後、野球の魅力にとりつかれた。小学3年から始めたスポーツ記事のスクラップは70年分、3千枚にもなった。

 「優れた選手は町の英雄となり誇りになる」。スポーツには地域を元気にする力があると思ってきた。地元の活性化にグラウンドを造りたいと思っていた。山と畑ならたくさんある。都内の学校法人が話に乗ってくれた。土地の権利者や市との調整に奔走し、80年代後半に完成した。だが経営が悪化した法人は、7年で手放すことになった。

 困ってしまった。数年間塩漬けになった。97年にフロンターレが発足した。チームは川崎市内に練習場を探していた。「まるで天の助けだった」。権利の移転は障壁だらけだった。「でも命を懸けてでも、成功させたかった」。急ごしらえのプレハブをクラブハウスとした。それが今年のリニューアルまで、使われていた。完成式典で経緯を説明した。中村憲剛選手が感謝してくれた。「そんな歴史があったとは知りませんでした」。うれしかった。

 地域ぐるみで応援しようと2009年に「麻生アシストクラブ」を結成した。応援ツアーを企画し、ファンを一人ずつ増やしてきた。選手もスタッフも、同じく地道に地域に向き合ってくれるチームだった。そんなふうに通い合うのが、何より幸せだった。

 20年の時を経てクラブは優勝争い常連となり、ホームゲームはいつも2万人が集まるようになった。「スタジアムに行くと、小さい子を連れた家族も多くてね。サッカーは偉大なスポーツ。お金では買えないものを、与えてくれる」。一人の農家の、フィールド・オブ・ドリームスだった。

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