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フロンターレDF・板倉滉選手(19)
フロンターレ、ハタチの物語(14)“同い年”としての愛

川崎フロンターレ | 神奈川新聞 | 2016年6月23日(木) 09:53

あなたにとってフロンターレを一言で表すと、という問いの答えは「愛」。少年のころからずっとクラブを愛してきた板倉選手らしい答えだ
あなたにとってフロンターレを一言で表すと、という問いの答えは「愛」。少年のころからずっとクラブを愛してきた板倉選手らしい答えだ

 クラブと同い年の1997年生まれ。下部組織であるU-12(小学生世代)から育ってきた選手として、初のトップ昇格を果たした一人だ。

 サッカー少年は「普通にファンでした」。スタンドの最前列で声を上げていた。まだクラブがJ1に定着する前だった。トップチームの鬼木達、久野智明両コーチらが現役で活躍していた。サインをもらったユニホームは、宝物だった。

 小学校4年の時、クラブがU-12の下部組織を立ち上げた。勇んで選考会に出掛けた。自信があった。「僕の全盛期だったかもしれません」。FWとして合格し、1期生となった。レプリカではないユニホームは格別だった。「フロンターレのワッペンは、誰もがつけられるものではない」。その喜びと誇りは、当時から変わっていない。

 ジュニアユース(中学)時代、スランプに陥った。大型選手のはずが、身長が伸び悩んだ。試合にも出られなくなった。「サッカーが楽しくなくなった」。ユース(高校)チームには上がれないと思っていた。

 意外にもユースに行けた。「期待をしてくれたんだと思います」。身長も伸び始めた。ポジションを守備的MFに変えた。体格を生かしたヘディング、FWとして培った足元の技術。再び、頭角を現した。あこがれだった中村憲剛選手とチームメートになれるなんて、不思議な感じだった。

 ただサッカーが好きで、フロンターレが好きで、夢中でボールを追いかけてきた。でも、今は分かる。「本当にいろんな人に支えてもらってきた」。コーチ、スタッフ、サポーター…。それぞれの努力、思い、夢が積み重なってクラブの20年があり、そして自分の今もその結実の一つだと。

 まだレギュラーには届かない。でもいつか必ず、「川崎の顔」になってやる。「下の世代の子たちにトップに上がってもらえるよう、僕らが力を証明しないと」。二十歳の誓いだ。

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