
ホーム等々力陸上競技場のグラウンドキーパーを務めてきた古橋敏明さんは「仲間」と記した。芝の管理の秘訣(ひけつ)を「体を使うことを惜しまないこと」と言い、それを体現して地域密着を進めてきたスタッフを同志のようだと語る。公式記録を担ってきた大高常勝さんは、「宝」と書いた。市サッカー協会の副理事長はプロが根付かなかった街にあってフロンターレはまさに宝物だと強調する。
その試合を絶妙のアナウンスで色づけているのが、14年にわたってスタジアムDJを務める林毅史さんだ。クラブは自らの人生、そして進むべき未来との思いを込めて「道」という言葉を選んだ。オフィシャルカメラマンの大堀優さんは、「大切なもの」。クラブの大ファンで、「優勝の瞬間は鼻水たらして泣いちゃうと思います」。人生に欠かせない存在だ。
ポルトガル語で用具係を意味するホペイロをクラブ創設時から担ってきた伊藤浩之さんは、ずばり「夢」。「優勝という一つの目標に向かっていく空気の中でできる仕事は他にない」と語り、その達成に自らの人生を懸けている。
20周年記念事業の実行委員長を務めた紀中靖雄さんは「家族」と書いた。「川崎に住む家族の食卓で、『ああ今週末は試合だね』という会話が日常的になってほしい」。クラブ自体が生活に何げなく寄り添う、街の家族のような存在になってほしい。同事業の事務局長を任されたクラブスタッフの高尾真人さんは、「人」と表現する。「いかに多くの人が、思いを持ってこのクラブに関わってきたか」。振り返れば、いつも人に救われた。それこそがクラブの財産だと。
そしてクラブスタッフの第1号として運営を一から築いてきた天野春果・プロモーション部長は「自分自身」のようだと語る。「良いときも悪いときも仲間がいて、負けも含めて愛される。そんなふうになりたい」。紆余(うよ)曲折、浮き沈み。自らの生きざまを重ね合わせ、愛されるという強さを身につけたクラブにしたいと今も思っている。
宝物のようなクラブを分身のように思い、大切な人、仲間、家族とともに、夢へと続く道を紡いでいく。その一歩一歩を実際に踏みしめてきた裏方だからこそ、シンプルな言葉からも温かさと思いが伝わってくる。
15年にわたって社長を務めた武田信平・特別顧問は当欄のとりを飾り、あなたにとってフロンターレを一言で表すと、という問いの答えを「これまでのひとこと全部」とまとめた。さすがです。