クラブ創設20周年という、川崎フロンターレのメモリアルイヤーがまもなく幕を閉じる。1年を通じて重ねてきた企画「ハタチの物語」では、登場いただいた方々に「あなたにとってフロンターレを一言で表すと」という問いの答えを色紙に書いてもらった。総集編として、数々の言葉を基にチームの歩みを改めて振り返りたい。まずは、選手・OBから。
現役のチーム最年長、生え抜き14年目の中村憲剛選手は迷わず「人生」と書いた。無名の大卒選手だったMFは「俺はフロンターレに拾ってもらった」と言う。日本代表に定着してワールドカップに出場し、欧州リーグからオファーがありながらも残留した背景を、「ほかの選手とはチームに対する思い入れが違う」と話した。今季もリーグ優勝こそ逃したが、リーグMVPに輝いた活躍はまさに人生を賭したものだった。
中村選手の盟友であり、長らく主将も務めたOBの伊藤宏樹スカウトが選んだ言葉は「希望」。ある時、街で自然に青いユニホームを着ている人たちに気づき、「自分たちの頑張りが街の風景を変えた」と感動した。クラブは市民の希望になれるはずだと説く。
同時期に活躍した佐原秀樹・12歳以下チーム監督は、「マイホーム」。移籍して一時期クラブを離れたが、やはり戻ってきた。「時がたつほど愛着がわく」。そんなクラブにほれている。
彼らよりも先、クラブ創設期を支えた中西哲生・クラブ特命大使は、「魂」。闘将としてチームの伝統を築いた功労者は、「強くなるのにも、愛されるのにも近道はない」と、泥臭くたゆみない努力を求める。
クラブと「同い年」の20歳で、下部組織出身の板倉滉選手はずばり「愛」。小学生の頃、純粋なファンだった入団2年目は、あこがれの選手たちと一緒にプレーする今を「夢のよう」と語り、次は自分が子どもたちに夢を与える存在になりたいと語る。
同じく下部組織出身の20歳で、「川崎の最高傑作」との呼び声も高い三好康児選手は「家」と書いた。自分を育ててくれた場所という感謝を持ちつつ、サッカー選手としては海外強豪クラブへの移籍という「大いなる家出」を果たし、フロンターレの力を世界に見せつけたいという夢を持つ。
サッカーで身を立ててきた選手らしく、生き方そのものを投影した言葉が並んだ。人生を懸け、魂を込めて家を愛し、そして希望を次代へつないでいく。多くの選手がクラブを故郷のように感じているのは、それだけ地域に理解され、根ざしていることの証左でもある。