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U-12監督・佐原秀樹さん(38)
フロンターレ、ハタチの物語(22)愛着増すマイホーム

川崎フロンターレ | 神奈川新聞 | 2016年10月27日(木) 13:07

あなたにとってフロンターレを一言で表すと、という問いの答えは「マイホーム」。居心地がよく、手を掛けながら付き合っているからこそ愛着が湧くという意図だ
あなたにとってフロンターレを一言で表すと、という問いの答えは「マイホーム」。居心地がよく、手を掛けながら付き合っているからこそ愛着が湧くという意図だ

 クラブができた1997年に唯一の高卒ルーキーとして入団した生え抜きだ。

 横浜市鶴見区出身。桐光学園では中村俊輔選手(横浜F・マリノス)とともに、全国高校選手権で準優勝を果たした。複数のオファーから、新参のフロンターレを選んだ。「ビジョンがはっきりしていたし、何より地元だったから」

 入団4年目で左膝に重傷を負い、2年間プレーできなかった。復帰するも、3バックのDFの4番手という立ち位置が続いた。レギュラーと遜色のない働きぶりから常に重宝された。29歳の時、FC東京からレンタル移籍の打診が来た。「年齢的にも最後のチャンスだと思った」。2008年に移籍。定位置を獲得すると、翌09年にはナビスコ杯決勝で古巣と対戦した。

 「正直、やりたくなかった」。2年前には川崎の一員として決勝で涙をのんだ。結果は快勝。「心の底からは、喜べませんでした」。本当はフロンターレで優勝がしたかった。

 移籍の際、決めたことがあった。「川崎から来た選手が結果出せなければ、クラブの価値が下がる。契約延長のオファーが来るくらい、やってやると」。有言実行。完全移籍の打診ももらった。そして3年後、川崎に復帰した。「最後はここで終えたかったから」

 再びけがに見舞われ、10年に引退した。「川崎の選手として14年。思い浮かぶのは悔しいこと、つらいことが先なんですよね」。それでもこのクラブを選んだことに、後悔はない。

 今は12歳以下のチームの監督として国際大会に導くなど手腕を発揮している。周囲を見渡せばともに戦った先輩や同僚が、コーチやスタッフとしてクラブを支えている。「昔、トークショーやったんですよ。デパートの会場に来たのは4、5人だけだった」。苦労を分かち合った仲間がいるから、なおさらいとおしい。

 例えるならそれは、マイホーム。「居心地がよくてでも時々修理が必要だったり、手を入れたりして、時がたつほど愛着が湧くじゃないですか」。38歳。気がつけば人生の半分以上を、ここで過ごしている。

 =隔週木曜掲載

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