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女子200自 五十嵐千尋
スイマーよ!〈3〉挫折からの「本気」

その他スポーツ | 神奈川新聞 | 2016年7月18日(月) 11:33

 五輪の大きさを知るより前に、自らの名は広く知れ渡っていた。中学時代から活躍してきたリオデジャネイロ五輪競泳女子代表の五十嵐千尋(21)=日体大=の歩みは華々しい。

 中学2年時にアジアエージグループ選手権の個人メドレーで200メートルと400メートルの2冠。3年時には日本選手権の400メートル個人メドレーで5位に食い込んだ。日大藤沢高に進学後も、1年生ながら全国総体の400メートル個人メドレーで優勝、200メートルでも3位に入った。

 高校2年で迎える2012年のロンドン五輪に手が届くかもしれない。誰もが期待を寄せた輝かしい未来はしかし、やってこなかった。
 

エリート街道一転


 ロンドンをにらみ、より可能性があると自由形に重きを置いて迎えた同年の、五輪選考会を兼ねた日本選手権だった。

 4位までに入ればリレーメンバーとして代表切符を得られる。だが、結果は0秒27差で5位。人目もはばからず、五十嵐は泣き崩れた。

 「練習に行きたくないくらいだった。でも、その時に当時のコーチが『次のジャパンオープンで悔しさをぶつければいい』と言ってくれて」。全てが吹っ切れたわけではなかった。もやもやとした思いを抱えながらも1カ月後のジャパンオープンで再スタートを切った。

 この挫折がここまでエリート街道を歩んできたスイマーを本気にさせた。もちろん頑張っていなかったわけではない。ただ、振り返ってみて思う。「みんな4年間ロンドンに行きたいと思ってやってきている。私は高校1年の時から1年間くらい。その気持ちの差があった」。人生の全てをぶつけてくるライバルたちに及ばなかったのは当然と受け止める。

世界と戦う夢



 足りなかったのは自信だった。4年前になかったものが今はある。

 翌13年の日本選手権で200メートル、400メートルの自由形で2冠を達成。国内のトップとして海外経験を積み、世界の第一線で戦ってきた。

 「海外は自分より速い選手が多くて吸収することが多い。研究して次の年、その次の年と結果もつくようになったし、自分の泳ぎも研究できるようになった」。進学した日体大での厳しいトレーニングも自信をつける要素となっている。

 アテネ五輪女子200メートル背泳ぎで決勝に進み、ロンドンで二つメダルを取った寺川綾に憧れ、高みを目指してきた。「自分は前半型。海外の選手に前半からついていって後半どこまでいけるか」。日本新、そして表彰台へ上がることを目標に掲げ、世界と戦う自らを夢想する。

 不安と緊張はついて回る。それでも「優勝できなくてもみんなが励ましてくれる。人に感動を与えられると思うとやってきて良かったと思える」と言って目を輝かせる。やっとつかんだ五輪。泣き顔ではなく笑顔で泳ぎ切る。

 いがらし・ちひろ 競泳女子日本代表。すすき野中-日大藤沢高(横浜サクラ)-日体大3年。高校1年時に全国総体400メートル個人メドレーで優勝。2014年仁川アジア大会200メートル自由形2位、400メートル自由形3位。15年日本選手権で200メートルと400メートルの自由形で2冠。世界選手権には13、15年出場。リオデジャネイロ五輪は200メートル自由形、800メートルリレーに出場。横浜市青葉区出身。170センチ、63キロ。21歳。


自信がみなぎっている五十嵐千尋=5月のジャパンオープン、東京辰巳国際水泳場
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