32年ぶりに五輪の扉を開いた水球男子日本代表の攻撃のキーマンは静かに、だが熱く飛躍の時を待っている。チーム最長身の192センチを誇る白鵬女子高教諭の大型センター柳瀬彰良(27)と「世界最小」プレーヤーを自認している西高津中出身のドライバー荒井陸(22)。両極端な2人がリオデジャネイロで新たな扉をこじ開ける。
自然と涙があふれた。ロンドン五輪予選から苦節4年。それだけではない。日本水球界が重ねてきた辛酸の歴史が鼻孔をくすぐった。
「勝って泣いたのは初めて。うれしいというのもあるし、やめようと思った時期もあった。やめないで続けてきて良かった」
2015年12月20日。アジア選手権(中国・仏山)で中国を16-10で破り、リオデジャネイロ五輪出場を決めた。柳瀬は大きな体を揺らして仲間と夢のような瞬間をかみしめた。
「君みたいに大きい子がやるポジションがあってね」
小学6年生になる前の春休み。175センチと背が高かった少年は、体験教室で声を掛けられた。コーチに勧められるがままに就いたのはフローターと呼ばれる攻撃を担うポジション。以来、ずっと最前線で相手ゴールと向き合っている。
中学2年で全国の合宿に呼ばれた。「このまま頑張れば日本代表になれるのかな」。自信を胸に地元群馬の名門前橋商高に進み、日体大1年時に晴れて代表のキャップをかぶった。
だが、順風とはいかなかった。右肩の故障を押して出場した12年1月のロンドン五輪予選はカザフスタン、中国に敗れて3位に終わり、大舞台への切符を逃した。
当時23歳の大学院1年目。引退も頭をよぎったが、「思うようなプレーができずに負けて悔しかった。もう一回チャレンジしたい」と五輪への憧れを捨てきれなかった柳瀬にさらなるアクシデントが襲った。少し休めば治ると思っていた右肩は鍵盤断裂と診断された。
「リハビリをしたけど治らなくて8月に手術。早ければ10カ月と言われたけど結局1年以上かかった」。手術した翌日は何もしなくても痛みが出た。夜も眠れないほど苦痛にあえいだ。
「自分の腕が上がらない。食器も棚から取れないほど。水球はもうできないんじゃないかと思った」
冬の足音が近づくころ、ようやくプールに入った。泳げるようになったのは翌年春。そして手術から1年後の夏、練習に戻った。