来年1月に100回記念大会を迎える東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)。本紙が展開する大型連載第3部は「レジェンド編」。激動の時代を駆け抜け、1900年代(昭和)の大会で活躍した往年の名ランナーたちを紹介し、連綿と続く箱根路の歴史の奥深さを探る。

「箱根駅伝ではごまかしが効かない」─。
かつて学生駅伝の絶対的王者・中大出身で、現在は東京国際大駅伝部監督を務める横溝三郎(83)はそう語り始めた。4年連続で東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に出走し、全て総合優勝。大会歴代最長の6連覇につなげた「深紅のスター世代」の一人だ。
横浜高時代に全国高校総合体育大会5000メートルで2連覇を達成した逸材は、大学1年時に3区2位でデビューした。しかし、天下の険に苦しめられたのは、2年時の5区。「あのブレーキは悲しかった。箱根駅伝でなければ途中でやめていた」
1960年の第36回大会。4分差以上あった首位の日大を追った。小田原中継所を出発し、登り坂に入ると急に脚が上がらなくなった。実は、前年の3000メートル障害で右膝を痛めていたのだ。
「もう駅伝は走りたくない」
レジェンド編 中大・横溝三郎 6連覇につなげた「深紅のスター世代」
ゴール直前の中大のアンカー横溝=1962年 [写真番号:1204272]
現在は東京国際大監督の横溝=6月、横浜市内 [写真番号:1204279]
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