東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)100回記念大会まで2カ月となった。来たるメモリアルレースに向け、神奈川新聞では大型連載「100回目の襷(たすき)」を展開している。
連載第1部では川崎市多摩区の専大陸上部に体験入部し、箱根路を目指すチームの1日に迫った。第2部では1997、98年に連覇を達成した神奈川大のOBを訪ね、レースの裏話も含め黄金期に至る道程をたどった。
11月以降は「平成の常勝集団」こと青学大のほか、2019年に悲願を遂げた東海大の躍進などを回想する「県勢大学編」。1900年代の箱根路を駆け抜けた選手を紹介する「レジェンド編」、神奈川ゆかりの現代ランナーを追う「県勢ランナー編」の計3部を予定する。本紙解説員として東京国際大駅伝部監督の横溝三郎氏も登場する。
箱根駅伝コースと県内の大学マップ
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来年1月で100回記念大会を迎える箱根駅伝。かつて地元民を熱狂の渦に巻き込んだ神奈川大の「V2世代」が黄金期を振り返る。初回の“1区”は1998年の主将とアンカーが当時のチームを語った。
大歓声の大手町ゴールに、神奈川大のプラウドブルーのたすきが1番で帰ってくる-。1998年1月3日、第74回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)の復路。都内の日比谷通りを抜け、2連覇の黄金期到来を告げるゴールテープを切ったアンカー・中里竜也(48)は現在、平塚市役所の職員として働いている。
中里がその瞬間を忘れることはない。ゴールで待つ約50人の仲間に手荒い祝福を受け、そのまま4度宙を舞った。「ビルに囲まれた空は晴れていて、下には青のジャージー姿の仲間がいて。もう全部が青かったですね。あの時の景色は、今でも忘れられないです」
横浜専門学校の名で開学後、1933年に創部した神奈川大陸上部。その3年後に箱根駅伝に初出場を果たし、86年から推薦制度を導入するなど駅伝チームの強化に乗り出した。
たたき上げの「雑草集団」
無名選手のたたき上げチームは…
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来年1月で100回記念大会を迎える箱根駅伝。大型連載第2部では、大舞台へしのぎを削る県勢大学を紹介していく。
2015年の初制覇以降、4連覇を含む6度の総合優勝に輝いた青学大。過去には33年間も東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)から遠ざかった。そして本戦復活から常勝軍団へ。OB3人の証言を基にフレッシュグリーンの走路をたどる。
1976年の第52回大会。4年生で10区を任された青学大の杉崎孝(70)=茅ケ崎高出身=は1月3日の夕方、病院のベッドで目を覚ました。「ゴールできたのか」。付き添ってくれたチームメートに聞いたが、「もう終わったんだからいいんだよ」となだめるばかり。途中棄権の事実を知ったのは後のことだった。
当時は陸上部全体でも部員は30人程度。長距離の選手のみならず、中距離選手らも含めて駅伝の練習をした。フィールド競技の選手も予選会に登録していたくらいだ。杉崎も専門は800メートルの選手。「当時は800メートルの選手も駅伝を走った。強い学校以外はそれが普通だった。最初は何で長い距離を走らないといけないんだと思っていた」。入学時はまさか自分が箱根駅伝を走ると想像していなかった。
それでも毎年予選会を勝ち抜き、杉崎も3年連続で出走。しかし、4年時は就職活動などが重なり、長い距離の走り込みが十分に積めていなかった。=敬称略
母校のたすき途切れ…
青学大のアンカー・杉崎孝(70)は11位でたすきを受け取ると…
◆青学大陸上競技部 1918年に創部。43年に箱根駅伝に初出場。2004年に中国電力で「カリスマ営業マン」と呼ばれた原晋監督が就任し、本格的な強化に乗り出した。09年に33年ぶりの出場を果たすと15年の初優勝から史上6校目の4連覇を達成。20、22年も制して総合優勝は通算6度。出雲駅伝は4度、全日本駅伝は2度優勝し、16年度には大学駅伝3冠を達成した。OBにはプロランナーの神野大地(セルソース)らがいる。
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来年1月に100回記念大会を迎える東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)。本紙が展開する大型連載第3部は「レジェンド編」。激動の時代を駆け抜け、1900年代(昭和)の大会で活躍した往年の名ランナーたちを紹介し、連綿と続く箱根路の歴史の奥深さを探る。
父の河野一郎、叔父の謙三ともに早稲田大で箱根路を走ったランナー。それぞれ2度の総合優勝に貢献し、第3回大会(1923年)では兄弟で7、8区のたすきをつないだ。その後、一郎は代議士と掛け持ちで駅伝監督に。そして洋平自身も早大競走部で、箱根路はマネジャーとして監督車に乗り込み併走した。駅伝の勝負所に当たる小田原、西湘地区を地盤とする政治家・河野一族は、箱根駅伝とは切っても切れない縁を持つ。
一郎、謙三の勇姿は本人たちの口から聞いたことはないという。だが、幼少期から箱根といえば駅伝だった。洋平の記憶に残る最初の箱根駅伝の思い出は、ラジオで聴いた劇的なゴールシーンだ。
早稲田高等学院時代の54年。30回大会で見事優勝を納めた早稲田だったが、アンカーの昼田哲士はゴール直前で意識が混濁。走りがふらつく中、当時の中村清監督が伴走車から飛び降り、耳元で校歌「都の西北」を歌いながら併走してゴールテープを切った。
「まだテレビ中継は無い時代です。後ろから追い上げられて。日大でしたね、どんどん差が詰まって、すぐ後ろまで。それはそれは興奮しながら聴いていた」
乗ったら、トイレも行けない
その後、早大に進学した洋平青年は当然のように競走部の門を叩く。そして箱根を志したが3年生を迎える頃…
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箱根駅伝100回記念大会に向けて、神奈川新聞は駅伝選手の日常を少しでも理解しようと6月に記者が“体験入部”してみた。
過去に優勝実績を持つ古豪で、来年は創部100周年となる専大陸上部の協力を得て実現した。県内高校出身の1年生部員・和田晴之選手の密着取材、記者や社員が練習体験したリポートなどを3回にわたり紹介する。
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箱根駅伝100回目の襷 神奈川勢の歩みと現在
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箱根駅伝でたすき渡しをする青学大の川村(左)=2012年1月、平塚中継所 [写真番号:1201645]
「駅伝だけは早稲田丸出しです」と笑う河野洋平 [写真番号:1204759]
1958年の第34回大会。ジープ後席からランナーを見つめる河野洋平 [写真番号:1204760]
[写真番号:1198217]