もっと謙虚に波へ、プロサーフィン日本王者・大澤伸幸が震災の葛藤超えて世界ツアー復帰/茅ケ崎
スポーツ | 神奈川新聞 | 2011年6月11日(土) 10:42

もう一度、海の素晴らしさに目を向けて―。
昨年の日本プロサーフィン連盟(JPSA)年間ツアーで初優勝を果たした、茅ケ崎市在住のプロサーファー大澤伸幸(23)。世界ツアーを転戦するトップサーファーは、東日本大震災を受けて急きょ帰国。あまりに甚大な津波の被害に「海に携わる者として、すごくショックを受けた」。被災地が普段の姿を取り戻すまでには、まだまだ時間がかかる。「自分は非力だけど、海を愛してくれる人が少しでも増えるようなサーフィンを見せたい」。そんな思いで、再びツアーに戻った。
大澤は昨年、JPSA年間ツアーを初制覇。現在はオーストラリアなどで行われる世界プロサーフィン連盟(ASP)ツアーを転戦する、日本で指折りのトップサーファーだ。「毎日違う顔を見せてくれるのが海の魅力」と話す。
父・寿樹さん(46)の影響で、3歳で初めて波に乗った。「物心ついたころには波の上にいました」。茅ケ崎・東海岸小時代は、授業が終わると大きなサーフボードを小さな頭の上に乗せて、毎日海岸へと足を運んだ。
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プロを目指すことに迷いはなかった。「自分の好きなことを仕事にしたかった」。茅ケ崎一中を卒業すると、高校には進学せず、約1年間、四つのアルバイトを掛け持ち。その資金で本場・オーストラリアへ約1年間の武者修行に出掛けた。「日本と海外のレベルの差は大きい。本場で力を磨きたかった」。18歳からプロツアーに参戦。JPSAでの優勝は海外で磨いた技術の結実だ。「優勝したときは、茅ケ崎の仲間も応援に来てくれて。海って本当に素晴らしいな、と思いました」
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そんな大澤にとっては、まさに「信じられない光景」だった。オーストラリア・シドニーにいた3月11日、インターネットから目に飛び込んできたのは、住民に襲い掛かる大津波だった。「あんな波は見たことがなかった。何か力になれないか、居ても立ってもいられなくて、すぐに日本に戻るチケットを取りました」。震災で大きな被害を受けた福島県南相馬市の北泉海岸は、毎年、大会で足を運んだ思い出の浜辺だった。
帰国後は友人サーファーらの安否確認に追われた。正直、気持ちの整理はまだつかない。「海は毎日違う。そんな当たり前のことを、分かったつもりになっていた部分があったのかもしれない」。大澤が得意とするのは、波にボードを預けたまま宙返りなどを決める“エアー”。潮の流れを感じ、着地点を予測することが必要とされる大技だ。「今回の震災で、もっと謙虚に、波を感じようと思うようになりました」
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再び、海外のツアーを回る日々。大澤は茅ケ崎の波打ち際で、かつての自分と同じようにボードを抱えて海に出ていく子どもたちを見つめて話した。「サーフィンに夢を持っている子どもたちは、神奈川はもちろん、福島にも、日本中にいるはず。そんな夢に応えられるような選手でいることが、多分僕にできること」
海が好きだという気持ちは今も変わらない。目標はASP世界ツアーでの上位入賞。「サーフィンは自分にとって人生そのもの。つらいけど前を向きます」。プロとして、波に立ち向かう姿で日本を励ますつもりだ。
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大澤 伸幸(おおさわ・のぶゆき) 3歳からサーフィンを始め、2006年から世界ツアーであるASPに参戦。10年には、JPSAツアーに初参戦で優勝を飾った。茅ケ崎市出身・在住。169センチ、68キロ。23歳。
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