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体操男子・白井健三 
ひねり極め頂へ(上) 体操界変える新旋風

スポーツ | 神奈川新聞 | 2016年8月5日(金) 02:00

内村と運命的出会い


 「体操のすごくうまいお兄さん」との運命的な出会いは2008年だった。

 リオデジャネイロ五輪で活躍が期待される体操男子の白井健三(19)=日体大=は12歳。父の勝晃さん(56)が経営する鶴見ジュニア体操クラブ(横浜市鶴見区)を離れ、同世代の有望選手が集まったクラブで汗を流していた。

 1日6時間の基礎練習ばかりこなす日々。初めて「体操が面白くない」と漏らし、大好きなトランポリンでひたすらひねり技に励んでいた。

 その姿が、同じ日体大の体育館で練習を重ねていた一人の大学生の目に留まった。「君、いくつ?」「12歳です」。そう答えると、その大学生は「そうか、7歳差か。いつか一緒にオリンピックに出られるといいな」と励ましてくれた。

 言葉を交わすうちに、競技のことで会話が弾むようになった。「そんなんじゃオリンピックに行けないぞ」。ひねり技は既にトップクラスだったものの、基礎は未熟で、くじけそうだった少年はその言葉に背中を押された。勝晃さんは、体操を嫌いになりかけていたわが子が目の輝きを取り戻して家に帰ってきたのを覚えている。「僕の(体操の)理論を本当に分かってくれた人を見つけたよ」

 その人こそ、当時日体大2年の内村航平(コナミスポーツ)だった。


床運動の練習をする白井健三=リオ五輪アリーナ(共同)
床運動の練習をする白井健三=リオ五輪アリーナ(共同)

 5日(日本時間6日早朝)に開幕するリオ五輪。日本体操界に欠かせない存在に成長した白井が、間もなく大舞台に立つ。団体総合、個人種目別床運動、跳馬での「3冠」を狙う19歳の進化の過程をたどる。


鉄棒の練習に臨む(左から)内村航平、白井健三、山室光史。手前は田中佑典 =リオデジャネイロ(共同)
鉄棒の練習に臨む(左から)内村航平、白井健三、山室光史。手前は田中佑典 =リオデジャネイロ(共同)

体操界変える新旋風


 内村との出会いから数カ月さかのぼる2008年夏。当時エース候補だった内村らを擁した日本男子代表は、北京五輪で分岐点となる敗北を味わっていた。国際体操連盟(FIG)が採点ミスの問題を契機に10点満点を廃止し、新たな採点方式を導入して初めて迎えた五輪だった。

 技の難度を示す演技価値点(Dスコア)と、出来栄えを反映した演技実施点(Eスコア)を合計する新たな採点方式で、高難度の技を持つスペシャリストのいるライバル中国は高スコアをマークした。一方、オールラウンダーをそろえ、伝統的に全6種目で勝負を挑む日本はミスもあって伸び悩んだ。

 その結果、日本はアテネ大会からの連覇を逃す銀メダル。種目別でも床運動、あん馬、つり輪、平行棒、鉄棒の5種目を制したメンバーを擁する中国との差は圧倒的だった。

 「種目別重視の世界の流れは変わらない。代表選考もこれまでのように個人総合中心でやると戦えない時代だ」と、当時の塚原光男強化委員長(68)は語っている。

 日本体操界はスペシャリストの出現を待っていた。

 内村が初めての出会いから才能の一端を感じていた少年は2大会連続の団体総合銀メダルに終わったロンドン五輪の翌13年、日本体操界の「新たな希望」として現れた。

 「すごすぎる」「気持ち悪いくらい」。内村がそう形容するほどの白井のひねりは日本のみならず世界を席巻していく。

 13年秋に世界選手権(ベルギー・アントワープ)の種目別床運動で、日本史上最年少となる17歳で優勝。15年秋の世界選手権(英グラスゴー)には男子団体総合のメンバーにも選ばれ、37年ぶりの制覇に貢献、種目別床運動では2度目の頂点に立った。

 F難度の「シライ/ニュエン(後方伸身宙返り4回ひねり)」など、10代にして「シライ」の名が冠された技を四つも持つ。全てはひねりを駆使したものだ。

 現役時代にアテネ五輪の団体総合優勝に貢献した男子代表の水鳥寿思監督(36)は実感を込めて言う。「協会や現場の考え方がスペシャリスト重視に変化してきた。特に健三の台頭が大きい。ああいう選手はこれまでの日本にいなかった」

 出会いから8年、あのときの12歳は日本体操界の風向きさえも変え、内村の横で世界と向き合おうとしている。

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