
高校1年で14秒5、2年では14秒1を出し、最後の夏には全国優勝を遂げる-。ハードリング技術を向上させた古谷拓夢(18)=早大=はそんな自らの予想以上に階段を素早く駆け上がった。
高校2年時の全国高校総体(インターハイ)で110メートル障害と400メートル障害で2冠。しかも110メートル障害は13秒92をたたき出し、12年ぶりに高校記録を更新した。
ただ、師である相洋高の銭谷満監督(49)の胸中には喜びとともに悩ましい思いが湧き上がっていたという。「これからが大変。この1年、けがをさせないように、タイムを少しでも伸ばせるようにしないと」
もちろん本人も分かっていた。もはやライバルは過去の自分。「高2の夏」は壁として、古谷の前に立ちふさがった。
最終学年になり、力は着実に伸びていた。東京・赤羽にある味の素ナショナルトレーニングセンターでの解析では、これまでとりわけ踏み込み足の筋力に長(た)けていると評されていたが、3年時にはスプリント力の向上も認められた。「細かい数字は覚えてないけど、大幅に走力が上がっていて自信に思えた」
だが、勝って当たり前のプレッシャーは並大抵のものではない。110メートル障害に関しては1年の秋以来負けなし。どのレースでも同世代から「古谷が勝って当たり前」と思われていた。
見えない敵との戦い。支えたのは相洋高陸上部という環境だった。
全国屈指の逸材となった古谷は決して特別扱いを受けなかった。いや、むしろよりチームの中心であり続けた。
高校2年のインターハイは110メートルで記録を塗り替えた直後にリレーの決勝を走った。3年時も変わらない。主将も務めたこの年もリレーのアンカーを変わらず掛け持った。
古谷の人柄を示すエピソードもリレーから生まれている。
昨夏のインターハイ。連覇が懸かる110メートル障害に集中させるために宿舎での静養に努めさせ、チームは古谷抜きでリレーの予選を戦っていた。無事準決勝進出を決め、チームメートが宿舎に戻ると、目に飛び込んできたのは玄関に立って出迎えるキャプテンの姿だった。
「気にしなくていいから休んでろと言ったのに。『ありがとう』と声を掛けていた。みんな泣いてましたよ」と銭谷監督。古谷は照れて言う。「当然ですよ。自分のためにみんな頑張ってくれたので」
110メートル、400メートルの連覇は決して一人の力で成したものではない。一人で戦っていたわけではなかった。
そして、8月末の関東選手権で13秒89、さらに10月の日本ジュニア・ユース選手権で13秒83をマーク。1年前の自らの幻影を乗り越えた。ただ、18歳は偉業を成してもおごらず、自然と感謝を口にする。
「(高校時代は)リレーも個人種目もあってつらかったけど、いろいろな人の支えがあった。一人だったら気持ちの面でもきつかったと思う。プレッシャーに打ち勝てたのは周りの支えがあったから」