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体操界の新星 白井健三(3)厳しいクラブ時代 内村と運命の出会い

スポーツ | 神奈川新聞 | 2015年2月10日(火) 11:30

日体スワロー時代の白井(前列左から2人目)=日体大健志台体育館(父勝晃さん提供)
日体スワロー時代の白井(前列左から2人目)=日体大健志台体育館(父勝晃さん提供)

遊びの延長線上にあった、あんなに楽しかった競技が突然、形を変えてしまう。トランポリンに夢中だった体操少年もまた、多くのアスリートが歩む道をたどることになる。白井健三(岸根高3年)、まだ小学2年の時のことである。

「親元で教わる難しさもある。ほかのところに預けよう」。そう決断した父勝晃さん(55)と母徳美さん(50)が通わせたのが、当時日体大の健志台体育館(横浜市青葉区)で行われていた体操教室、日体スワロークラブだった。

練習メニューはもっぱら基礎の反復。来る日も来る日も基礎を体にすり込ませるトレーニングを、白井は「自分の運命を恨んだというか、正直体操をやめたくなった時期だった」と振り返る。

「お父さんのところで体操がしたい」。大泣きする息子を母は「心を鬼にして背中を押した」という。練習場所までは電車とバスを乗り継ぎ、練習を終えて駅に着くのは毎晩、午後10時すぎ。徳美さんが車で迎えに行くのが日課だった。

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順調に実力を伸ばし、小学校6年で初めてジュニアのナショナルメンバーに選ばれた。ただ、母はわが子の無言のサインも見逃してはいなかった。

「様子がおかしい」。徳美さんはある日、持たせていた携帯電話をのぞいてみた。メールの送信履歴に、クラブのコーチに宛てたこんなメッセージが見つかった。「学校の授業が長引いてしまいました。今日は少し遅れます」

徳美さんは懐かしそうに笑う。「小学校の授業がそんなに長引くわけない」。ただ、母はすぐにはとがめなかった。「ただでさえ厳しい環境。あそこで怒ってしまったらつぶれていた」

そして、時が過ぎてから尋ねた。「あの時はどうしていたの」。すると白井は答えた。「近くの本屋さんで立ち読みしちゃった」。しからず、とにかく優しく見守った。

「日体スワロークラブの地道な繰り返しの時期が今の健三を支えている」。そう語る勝晃さんは「きついことの繰り返し。それでも、本人の中でも、うまく逃げ道をつくっていたからきっと続けられた」という。練習に早めに顔を出したり、休み時間を使ったりしながら、白井は空き時間にトランポリンで遊んでいた。

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母の愛情に支えられ、厳しい練習に耐えてきた白井。後の飛躍の土台ともなったこの時期、実は運命ともいえる出会いを果たしている。

ある日、トランポリンで黙々とひねる姿が、一人の大学生の目に留まった。同じ体育館で練習を重ねていた日体大2年の内村航平(コナミスポーツク)だった。

当時2008年。その年の北京五輪の個人総合で銀メダルを獲得し、一躍脚光を浴びていたメダリストは白井のひねりに目を丸くし、思わず声を掛けたという。

「君、いくつ」「12歳です」。屈託ない笑顔で答えた白井に、体操界のエースはこう言葉を残した。「そうか、7歳差か。いつか一緒にオリンピックに出られるといいな」

内村と交わした何げない約束。それが現実に近づく道を、白井は着実に進んでいく。

【神奈川新聞】

 
 

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