
天才を天才たらしめるものは決して天賦の才だけではない。未来を紡ぐであろうアスリートたちはどう育ち、学び、いかに自らを鍛え上げてきたのか。さあ、彼ら、彼女らの原点、軌跡をたどる航海に出よう。連載第1弾は日本体操界のホープ、白井健三-。
2013年10月、ベルギー・アントワープで行われた体操の世界選手権男子種目別床運動。白井はただ一人、別次元にいた。
演技の最後を締めたのはもちろん、「シライ」と名付けられた、Gまである段階の中で2番目に高いF難度の大技「後方伸身宙返り4回ひねり」だった。床を蹴り、そして高く舞い上がった体をドリルのようにひねり、白井は鋭い回転のまま床に下り、着地で両足をぴたりとそろえた。
技の難度を示すDスコアは、唯一の7点台となる7・400点。12年のロンドン五輪の個人総合金メダリスト、内村航平(コナミスポーツク)を1点上回り、同選手権の予選で出していた16・233点は同五輪床運動の優勝者の得点を0・3点も凌駕(りょうが)した。
回転数、ぶれない軸、つま先まで神経を行き届かせた流麗さ。体操の粋を集めた演技は見る者全てを魅了した。世界王者の内村さえ「人間じゃない」とまで言った。
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白井は同選手権で床運動の「前方伸身宙返り3回ひねり」、跳馬の「伸身ユルチェンコ3回ひねり」の新技にも成功。「シライ2」「シライ/キムヒフン」とそれぞれ名付けられた。代名詞ともなった「ひねり」。そのすごさを表しているエピソードがある。
世界選手権後、4回ひねりを披露した当時17歳の元には体操を対象としている多くの大学の研究者が足を運んだ。「私も長い間指導してきて、3回ひねりを取り上げた論文はあったが、4回はなかった。自分たちの研究論文の上を(健三が)行ってしまったわけだから。たくさんの研究者の方が驚いていた」。元体操選手で、鶴見ジュニア体操クラブ(横浜市鶴見区)を経営する父勝晃さん(55)が笑う。
ただ、本人はひょうひょうと振り返る。「いつもやっていたことをやっただけ。だから緊張はなかった」。加えて実家の体操クラブから、舞台が世界大会に変わっただけだという。白井は強心臓だけでなく、独特の感性も併せ持っている。
例を挙げると、床運動の演技では約30もの細かく分けた項目で、これまでの大会で出した「自己ベスト」を記憶している。「例えば1本目の跳躍技はAの大会で、2本目の着地はBの大会で、それぞれの項目でベストな感覚がある。本番で、その時のいい感触を思い出している」
一度肌で味わった「自己ベスト」の感覚を忘れず、いつでも瞬時に引き出してしまう。それは演技中に、過去の自分にタイムスリップする感覚とも似ているという。「実は試合中、ものすごく頭を使っている。見えている会場の色がころころ変わるんです」
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1996年8月24日。父勝晃さん、そして母徳美さん(50)も元選手という体操一家に、三男として産声を上げた。白井の前に授かっていた3人目の子を流産し、白井自身も生まれた直後は黄疸(おうだん)がひどかった。「とにかく健やかに育ってほしくて」。両親はそんな思いを込めて名前をつけた。
文字通り健やかに、少しだけやんちゃに。ただ横浜の体操クラブから世界のトップに立つことなど、まだ誰も夢にも思っていなかった。
■しらい・けんぞう 両親が元体操選手で指導者である影響から3歳で競技をスタート。得意とする床運動で寺尾中時代の2011年、全日本種目別選手権で2位に入り、頭角を現す。世界選手権では13年に床運動で日本史上最年少の金メダルを獲得。14年の世界選手権でも団体と床運動で銀メダルに輝いた。3兄弟で長男の勝太郎がコナミスポーツクラブ、次男の晃二郎が日体大の選手。この春に日体大へ進学予定。岸根高3年。162センチ、51キロ。18歳。横浜市鶴見区出身、在住。
【神奈川新聞】