
J1川崎のエースFW大久保嘉人(32)が今季もストライカー最高の栄誉を手にした。単独での2年連続の得点王は22年目を迎えたJリーグで史上初の快挙だ。移籍1年目の昨季はキャリアハイの26点を挙げ、今季も18点を積み上げた背番号13。移籍前の雌伏のときを乗り越え、点取り屋はいかにして復活を遂げたのか。
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3月28日、本拠地の等々力陸上競技場で行われた名古屋戦。川崎は全フィールドプレーヤー10人を経由し、長短のパスを縦横無尽にピッチに走らせた。
最後を締めたのは大久保。ゴール前、左膝でトラップすると、右足を一振りした。
鮮やかにゴールネットを揺らした一撃は、クラブ通算千ゴール目。川崎の攻撃的なパスサッカーとエースストライカーの決定力が融合し、記念すべき得点は生まれた。
2012年シーズン。川崎に移籍する前年の大久保は神戸で守備やゲームメークに追われ、ゴール数はわずか4得点に沈んでいた。
長崎・国見高から鳴り物入りでプロ入り。04年夏のアテネ五輪出場を経て同年に欧州に渡り、10年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会にも出た。神戸のJ2降格が決まり、ここまでずっと一線で走り続けてきたFWへの周囲の評価は厳しいものだった。
ピークは過ぎたのではないか-。しかし、川崎の庄子春男取締役強化本部長(57)の見方は違っていたという。
「点を取ることは才能。教えられるものではない」。もともと高さや足の速さで得点を奪うタイプではない。瞬間的な速さやゴールへの嗅覚といった得点センスは一級品だ。輝きは失われたのではなく、曇っているだけとみていた。
風間八宏監督(53)の思いもまた同じだった。「日本でも1、2を争う、能力の高いストライカーだということは(移籍前から)分かっていた」。川崎は獲得を打診した。
J2時代から攻撃サッカーを貫く川崎と、ポジションを前線に固定された点取り屋は果たしてマッチした。
相手DFのマークを一瞬の駆け引きで引きはがし、味方からボールを引き出す。
パスをつなぎ、相手守備陣を崩す風間サッカーも吸収した。「まだできる、もっとやってやろうという姿勢が彼の一番の強み」。30歳を超えながらも、向上心を失わない貪欲さも背中を押していたと、風間監督は分析する。
ゴールの形も多様で、相手DF陣の裏への抜け出しもあり、ミドルだってある。チームメートのGK西部洋平(34)は「シュートの種類は完全に意識して蹴っている。球をぶらすか、どっちの方向に曲げるかという部分まで突き詰めてやっている」と舌を巻く。
川崎でゴールを重ねるにつれ、元来宿っていた我の強さを取り戻したことも大きい。
「前はシュートを打つときに迷いがあったけど、今は自信を持って選択できている」と大久保は言う。得点を奪うことに専念できるようになり、シュート精度の向上にもつながった。移籍前年の12年には1点当たり約12本のシュートを放っていたが、ここ2シーズンは約4本で1点を奪っている。
川崎に移籍が決まった際、エースは純粋にこう言っていた。「このチームならボールが出てくる。もう一回、点を取る感覚を取り戻したい」。あらゆる要素が好循環を生み、大久保は再びストライカーとして覚醒した。
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おおくぼ・よしと FW。長崎・国見高で全国総体、国体、全国選手権の高校3冠を成し遂げ、2001年にC大阪に入団。マジョルカ(スペイン)、ウォルフスブルク(ドイツ)でもプレーし、神戸から川崎に移った13年は26点で自身初のJ1得点王に輝き、今季も18点で2年連続の得点王を確実にしている。J1通算306試合で133得点。ワールドカップ(W杯)には10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会に出場。国際Aマッチ60試合で6得点。170センチ、73キロ。32歳。福岡県出身。
【神奈川新聞】