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東京五輪から50年 体操女子団体で銅・横浜の加藤さん「地方からも代表選手に」

スポーツ | 神奈川新聞 | 2014年10月10日(金) 03:00

東京五輪体操女子団体の表彰式。右端列の後ろから3番目が加藤さん(加藤さん提供)
東京五輪体操女子団体の表彰式。右端列の後ろから3番目が加藤さん(加藤さん提供)

1964年に行われた東京五輪の開幕から10日で50年を迎える。半世紀前の夢舞台で銅メダルを獲得した体操日本女子団体代表、加藤宏子さん(75)=旧姓辻、横浜市南区=は「五輪のメダルは(日本体操女子史上)一つしかない。私の誇り」と語る。今も指導者として体操に携わるメダリストは、6年後に迫った東京へも思いをはせる。

「東京の選手には負けない」「地方から五輪選手になる」。金沢市出身の加藤さんの胸中は、そんな気概に満ちていた。

藤花高(現尾山台高)時代に全国高校総体の個人総合で連覇を飾り、56年メルボルン五輪の代表候補に名を連ねたが、惜しくも次点で落選。続く世界選手権の代表からも漏れた。

首都圏に比べて地方は練習環境が悪く、指導者や審判員などの人材も手薄。実績を残しても選ばれるのは東京拠点の選手ばかりだったという。60年ローマ五輪はアキレスけんの断裂で断念していただけに、最後と決めていた東京五輪には並々ならぬ思いがあった。

技を磨き、代表をつかみ取って迎えた舞台。加藤さんは団体の命運を握るトップバッターだった。結果は4位の統一ドイツと1・851点差の3位(377・889点)。会場の東京都体育館(現東京体育館)に電光掲示板はなく、「表彰式の直前に(順位が)分かったのかな。みんなで大喜びした」と笑顔で偉業を振り返った。

ただ、世間の熱気はさほど感じなかった。「報道は今のように過熱していなかった。ちやほやされた覚えはないですね。開会式も(派手な)演出はなかった」。敗戦から19年。「みんな生活するのに一生懸命だった」と当時をしのぶ。

東京五輪直後に引退。28歳で結婚して上京し、湘北短大(厚木市)で教べんを執りながら2人の娘を育てた。一方で体操の国際審判員の資格を取得。83年のブダペスト世界選手権や88年のソウル五輪で審判員を務めた。横浜文化体育館の体操教室講師は30年以上続けている。

今、体操とともに歩んだ歳月を顧みて「地方からも代表選手が選ばれるようになってよかった。こじあけたのは私かな」とあらためて誇りに思う。一方で、変わらないと感じることもある。「日本のスポーツ環境は実は恵まれていない。器具一つにしても、何かがないとなかなか(行政に)買ってもらえない」

6年後の東京五輪に向けた期間は、環境を変えられる絶好機でもある。横浜市体操協会の副会長でもある加藤さんは、昨秋の世界選手権床運動で金メダルを獲得した白井健三選手(岸根高)の名を挙げ、「活躍が楽しみ」と心待ちにしている。

【神奈川新聞】


東京五輪体操女子団体3位の賞状を手にする加藤さん。メダルはチームに一つしか与えられなかった =横浜市南区の自宅
東京五輪体操女子団体3位の賞状を手にする加藤さん。メダルはチームに一つしか与えられなかった =横浜市南区の自宅

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