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【サッカー小僧ブラジルへ】(1)芽生えた自覚~偉大な背中追い成長

スポーツ | 神奈川新聞 | 2014年5月13日(火) 13:00

東アジア杯男子オーストラリア戦で先制ゴールを決め、ガッツポーズして喜ぶ斎藤=華城競技場(共同通信)
東アジア杯男子オーストラリア戦で先制ゴールを決め、ガッツポーズして喜ぶ斎藤=華城競技場(共同通信)

空から舞い降りた色とりどりの折り鶴が、緑のピッチを覆い尽くした。2002年6月30日、W杯日韓大会の決勝が行われた横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)。「いつか、こんな舞台に立ちたい」。12歳の少年は熱い思いを胸に、観客席からブラジルの歓喜を見つめていた。

あれから12年。精悍になった24歳の青年はかつて夢を抱いた同じ場所、日産スタジアムで晴れの会見に臨んだ。「ここからがスタート。選ばれるだけではなく日本の歴史をつくる、そういう思いを持って挑んでいきたい」。横浜Mの斎藤学は夢を現実のものとした。

力強い言葉とは裏腹に自信はなかった。今季はアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)とリーグ戦の過密日程を強いられてきた。調子が上がらず、公式戦17試合で4得点。前夜は緊張から寝付けなかった。

「どうなってもしょうがない。難しいかな」。地元の友人と自宅のテレビで見守り、ザッケローニ監督の口から名前が出たのは22番目だった。

「嘉人さんで盛り上がって、呼ばれたのに最初、気が付かなくて」と笑った。

初めて日の丸を背負ったのは13年7月。リーグ屈指のドリブラーは東アジア・カップから、わずか10カ月余りでW杯メンバーまで駆け上がった。

躍動するピッチ上とは違い、優しく少し控えめな斎藤に自覚が芽生え始めたのは、ことしになってから。14年3月の国際親善試合で本田(ACミラン)ら欧州組と後半34分からプレーし、自信をつかみ始めた。

「W杯に出れば、人生が変わる。ここまできたらプレーしたい」。初めはパスが回ってくることを喜び、練習では不慣れなボランチでプレーしたこともあったが泣き言を言わなかった。

前向きな姿勢でザッケローニ監督の切り札として地位を確立し、日本でたった23人の枠をつかんだ。

ずっと偉大な背中を追い掛けていた。

日本代表でも背番号10を任されたMF中村、代表通算110試合の出場を誇るDF中沢。練習の開始2時間前にはクラブハウスを訪れ、35歳を過ぎても第一線で走るベテランの姿に、ずっと刺激をもらってきた。「日々のトレーニングの姿勢を見ているので、A代表に呼ばれても慢心できない環境にあった」。良き手本を励みに、成長を続けてきた。

井原らから始まり、松田、中沢、中村と、横浜Mから選ばれるのはこれで5大会連続になる。名門の歴史を引き継いだ斎藤は言う。「小さい頃から、マリノスの選手がW杯で戦ってきた姿を見て育っている。今の育成組織の子どもたちにも見てもらえる活躍がしたい」。夢は紡いでいくもの-。そう思っている。

小学3年生からトリコロールに身を包んで戦ってきた斎藤学。いつもボールを追ってきたサッカー小僧は、順風、ときに逆風を受けながら成長の階段を上がってきた。J2愛媛時代の武者修行を経てロンドン五輪に出場、そして最高峰のW杯へ旅立つ。川崎で生まれ、横浜で育まれたドリブラーの軌跡を追う。

◆斎藤学 FW。W杯初代表。2012年ロンドン五輪代表を経て、13年7月の東アジア・カップでA代表デビュー。国際Aマッチ4試合に出場し1得点。狭いエリアを打開できるドリブル突破に定評があり、本大会では流れを変える切り札として期待される。東小倉SC、横浜Mプライマリー(日吉小)-同ジュニアユース(塚越中)-同ユース(市川崎高)-横浜M-愛媛-横浜M。J1通算91試合11得点、J2通算36試合14得点。169センチ、68キロ。24歳。川崎市幸区出身。

【神奈川新聞】

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