ボクシングの井上尚弥選手(20)=大橋ジム、座間市出身=が6日、東京都の大田区総合体育館で行われた世界ボクシング評議会(WBC)ライトフライ級タイトルマッチで王者のアドリアン・エルナンデス選手(28)=メキシコ=を6回TKOで破り、日本選手最速のデビュー6戦目で世界王座を獲得した。これまでの最速は、2011年2月に井岡一翔選手(井岡ジム)がWBCミニマム級王座に就いて記録した7戦目。
井上選手は県立相模原青陵高校時代、全国高校総体などを制し、史上初のアマチュア7冠を達成。12年10月にプロデビューし、ここまで5連勝を収め、6戦目での世界戦への挑戦は日本選手で初めてだった。
■幼少期から熱血指導 父とかなえた夢
二人三脚で追ってきた夢がこの夜、成就した。日本選手で史上最速となるデビュー6戦目でボクシングの世界王者に輝いた井上尚弥選手=座間市出身。6歳でグローブをはめた息子と、そばでいつも見守っていた父はリング上でしばし抱き合った。
レフェリーが試合をストップすると、尚弥選手は両手を突き上げ、リングにうつぶせで倒れた。父真吾さん(42)は歴史をつくった愛息を抱きしめ、肩車してリングを1周した。
「(頭の中は)真っ白。苦しい場面もあったけど、小さい頃からの夢を絶対にかなえようと思って戦った」。息子と握手を交わした父は「感無量。ボクシングってすごい。頼もしい息子を持った」と感激に浸った。
真吾さんがボクシングを始めたのは24歳。「何か格闘技をしたいと思っていたところに、たまたま先輩から勧められた。別な競技だったら(尚弥選手が世界王者になれたか)分からなかったですね」。思えば、その出合いは運命だったように感じる。
砂浜を走り、自宅でサンドバッグをたたいた。幼かった長男の頭には父が汗する姿が刻まれた。いつの間にか、自分のためだったボクシングは、尚弥選手、そして二つ下の弟、拓真選手(18)のためのものになっていた。
素質を感じたのは小学生のとき。ジュニア大会に出ても、そこに一人だけ大人が交じっているような錯覚を覚えた。「世界を獲れるかもしれない」。通っていたジムが閉鎖になったのを機に、自営の塗装業の傍ら2009年6月に秦野市内にジムを立ち上げた。父の夢は親子の夢になった。
寝ても覚めてもボクシングの練習は続いた。姉の晴香さん(22)が「幼いころはつらい練習を嫌がっていた」と言う少年は父に導かれるように強くなった。
県立相模原青陵高校時代は全国高校総体(インターハイ)などのタイトルをほぼ独占し、アマチュア7冠を達成。2012年のロンドン五輪アジア最終予選決勝で敗れて出場権を逃し、初めて挫折を経験したが、3日後にはプロという目標に向かってスタートした。父はそのときも、ミットで息子のパンチを受け止めていた。
高校卒業に合わせて、アマ時代に出稽古で足を運んでいた元世界王者の大橋秀行会長(49)が開いている大橋ジム(横浜市神奈川区)に移籍。父もトレーナーとして入った。
ミットを手にその仕上がりを確かめ、スパーリングでは時には厳しい言葉でげきを飛ばす。減量時には特製のサムゲタンを振る舞い、食事時でさえもスパーリングや対戦相手の映像を繰り返して一緒に眺めてきた。
一筋に打ち込んできた尚弥選手は瞬く間に世界の頂点へと駆け上がった。ベルトを胸に、称賛の声を浴びる自慢の息子。真吾さんの目は優しく潤んでいた。
【神奈川新聞】