2020年東京五輪・パラリンピックが決定して間もなく1カ月。日本オリンピック委員会(JOC)理事で県体育協会会長の山下泰裕さん(56)は「チームジャパンの勝利だった」と歓喜の瞬間を振り返る。開催の詳細が決まるのはまだ先だが、ロサンゼルス五輪金メダルの柔道家は早くも、再び訪れる夢と希望の舞台に思いをはせる。
「あのときはみんなが泣いて、みんなで抱き合った。チームジャパンの勝利だった」。日本時間9月8日早朝、アルゼンチン・ブエノスアイレス、JOC理事として赴いた国際オリンピック委員会(IOC)総会の興奮がよみがえる。
16年の五輪招致で、東京は最終選考まで残ったものの、決選投票には進めなかった。「招致活動費(約76億円)は、前回と比べると半額ぐらい。一生懸命やったが前回は素人軍団。スポーツ関係者と東京都だけでやっている感じだったが、今回は政財官界、スポーツ界、東京都の力が一つになって招致決定につながったと思う」。必ずしも高くなかった前評判を、チームワークで覆すことができた。
スペイン・マドリードは4回目、トルコ・イスタンブールは5回目の立候補だったが、開催都市の座をつかむことはできなかった。「勝負は厳しい。スポーツは2、3位もあるし、入賞もある。だが、これは1位かそれ以外。帰ってくるときの移動は長かったが、充実感、達成感がある脱力感。こんな雰囲気を味わって帰国するのは、29年前のロス五輪以来かなと思った」。悲願の金メダルに匹敵する至福の体験だった。
東京五輪ではあるが、日本で開く五輪だ。「招致活動に成功したときと同様、東京都、スポーツ界、政財官界、教育界が加わらないと成功はない。いつまでも喜びに浸っているわけにはいかない。7年なんて、あっという間に来る」
56年ぶりに東京で開催される2020年夏季五輪・パラリンピック。日本オリンピック委員会(JOC)理事で県体育協会会長の山下泰裕さん(56)は、神奈川を含めた全国が「おもてなし」の心で元気になろうと説く。
■準備万全に
東京五輪は一体どんな大会になるのだろう。「東京に決まった理由には、運営を安心して任せられ、安全というのがあるだろう。五輪にはスポーツ関係者、マスコミ関係者だけではなく、世界中から多くの人が来る。最終プレゼンテーションで滝川クリステルさんが言った『おもてなし』を、しっかり準備しないといけない」
準備の心構えは、この人ならでは。「私はちょっと欲張りだから、五輪のためにというだけではなく、五輪を生かしながら日本が元気になっていきたい。五輪のためにというと、大会が終わったら終わり。五輪を生かしてというと、それを財産にしながら、もっともっと日本がいろいろな方面に発展する」
五輪は子どもに夢を与えるチャンピオンスポーツという面だけではなく、生涯スポーツに取り組むきっかけにもなる。パラリンピックは障害者への理解につながり、バリアフリー化も広がる。
そして復興五輪も今回の大きな特徴だ。「被災地でも、とりわけ福島の人は、決まったからといって喜んでいいのかどうかという思いだろう。国を挙げて復興に取り組むことで、心配し、支援してくれた世界の方々に、東日本が、福島が復興している姿も見ていただける。当然、五輪の聖火トーチは被災地を回り、訪ねて行くアスリートもいるだろう。そこでのつながり、関わりを大事にしてほしいと思う」
■選手を育成
「盛り上がりのために一番大事なことは日本選手が活躍すること。柔道界でも多くの少年少女に夢や感動を与えられるような選手を育成していかなければいけない。7年後といえば、今の中学・高校・大学生が中心になると思う。まだ目標と言うには遠すぎるが、夢を持つことが大事。いかに人材を発掘して育てていくかだ」
前回の東京五輪のときは小学1年生。テレビにかじりついて東洋の魔女、体操、重量挙げなど日本選手の活躍に胸を躍らせた。「夢は五輪で金メダルを取ることではなく、センターポールに日の丸を揚げて君が代の演奏を聴くことになった」。20年後に日本中の心を捉える金メダリストは、このときまだ柔道とは出会っていない。だが、五輪は少年の胸にそれだけ鮮明な印象を刻み込んだ。
■神奈川から
「もちろん神奈川からも、日本国民、世界の人たちに、夢や感動を与えられる選手が出てほしい。それが(06年に)県体協会長になったときに挙げた四つの目標の1番目だから」
6月には率先して横浜で東京五輪招致イベントを開いて盛り上げた。「日本の中でも、神奈川の思いはかなり高いと思う。コンパクトな大会になるが、多くのボランティアは必要。東京の隣県神奈川には、横浜、鎌倉、箱根などの名所も多い。『おもてなし』の心で迎え、神奈川の魅力もぜひ感じてもらいたい」
前回の東京五輪は、それに合わせ、社会インフラや競技会場が整い、時代の節目になった。今回はどうか。「やること山ほどあるでしょ」。人懐っこい笑みをたたえたその目が、一人一人が成功の鍵を握るチームジャパンの一員であると、語っていた。
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