

車いすラグビーが正式競技となって5大会。日本代表は3位決定戦でカナダを52-50で下し、悲願のメダルをつかんだ。34歳の山口は「金を目指していたので悔しさもあるけれど、準決勝で負けて立て直して取った銅メダルは価値がある」と快挙に胸を張った。
出場機会は多くなかったが、自身のハイライトは1次リーグ初戦のスウェーデン戦。先発の選手が体調不良で急きょ出番が回り、「ここで転べばメダルはない」と奮い立った。味方選手のゴールまでの道をつくる「縁の下の力持ち的」という守備的なポジションで体を張って相手の攻撃を寸断。「試合に出たときは、できることを全部やる」というフォアザチームの精神で白星発進に貢献した。
19歳のとき、交通事故で頸椎(けいつい)を損傷して車いす生活に。「もともとスポーツをやる気はなかった」というが、性格は「負けず嫌い」。ツインバスケットボールでも日本一に輝いた努力家は、ラグビーでも30代に入って代表に定着した。座右の銘は不撓(ふとう)不屈。「これが一番あなたに合っているよ」。初めて代表入りしたとき、当時は交際中だった妻にもらったお守りに書いてあった言葉だ。
当然、4年後の東京に視線を向ける。「今度こそ主力として行きたい。全員が今以上に実力を上げないと金は取れない。一つ一つできることをやっていく」。喜びと悔しさが詰まった銅メダルに、新たな誓いを立てている。
やまぐち・たかひさ 日興アセットマネジメント、横濱義塾所属。リオデジャネイロ・パラリンピック車いすラグビーで日本史上初のメダルとなる銅を獲得。坂本中-逗子高。170センチ、57キロ。横須賀市出身、川崎市在住。34歳。