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「最高の結果を」感謝胸に夢中で戦う パラIH男子代表・南雲啓佑選手 平昌冬季パラリンピック

スポーツ | 神奈川新聞 | 2018年3月9日(金) 15:30

「周りの人に支えられて今がある」と話す南雲さん=川崎市内
「周りの人に支えられて今がある」と話す南雲さん=川崎市内

 平昌冬季パラリンピックがいよいよ開幕する。先月25日に閉幕した平昌冬季五輪では日本勢がメダルラッシュとなり、パラ選手団にも大きな期待が寄せられる。県内出身の選手では、2大会ぶりに出場するパラアイスホッケー男子で南雲啓佑(32)=東京アイスバーンズ=が代表入り。チームの一員として「最高の結果を出したい」と闘志を燃やしている。

 パラアイスホッケーの日本代表は昨年10月にスウェーデンで行われた最終予選を2位で突破し、8年ぶりに本大会の切符を得た。初出場となる南雲は「やっぱり大舞台。行きたくて行ける所ではない。自分がチャンスをもらえたときに何ができるか」と心を躍らせる。

 2010年のバンクーバーで日本は銀メダルを獲得したが、その後は選手の世代交代がうまく進まず、14年のソチは出場権を逃した。

 プレーの連係面などでベテランの経験値は不可欠だが、平均年齢41歳というチーム内で3番目に若い南雲は「僕はまだまだ(技術的に)未熟だけれど、下からの突き上げでチーム力を押し上げる」ことを念頭に鍛錬してきた。
                ◇
 横浜市旭区出身。小、中学校時代は野球に打ち込んだ南雲は、成蹊大卒業後に都内の建材関連の会社で営業職に就いた。

 「人生って分からないものですね」

 7年前、南雲は階段での思わぬ転落事故で背骨を骨折。脊髄を損傷し、下半身不随となって生活は一変した。仕事を続けられるか、生計はどう立てるか。先の見えぬ不安に襲われ、「いまだに何で自分が車いすに乗っているんだろうと思う時もある」という。

 厚木市の神奈川リハビリテーション病院でリハビリを続けながら最初に始めたのはチェアスキー。その後、知人の紹介でパラアイスホッケーに出合った。「パックを持っている相手に対して、ガーンって当たりに行った時の衝撃が気持ちいいんですよね。障害者のスポーツであれだけぶつかり合う競技は他にない」。競技の面白さに一気にのめり込んでいった。
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 所属チームでの練習はリンクを貸し切る関係上、深夜から始まることもしばしば。環境面で決して恵まれているとは言い難いが、「いろんな人の目に触れてもらうこと。やってみたいと思う人が増えてくれれば」と競技普及にも気を配る。

 「苦しい時もあった」と振り返るように、以前と変わらず続ける仕事と競技との両立には厳しい面もあるが、充実感は大きいという。

 「まずは感謝の気持ち。家族や友人、職場のサポートがあって今の生活がある。とにかく精いっぱい、夢中でやりたい」。気負うことなく、晴れ舞台を楽しむことも忘れていない。

 なぐも・けいすけ 東京アイスバーンズ。フォワード。若葉台西中(現・若葉台中)-成蹊高-成蹊大。チェアスキーを経て2014年からパラアイスホッケーを本格的に始め、16年には世界選手権出場。横浜市旭区出身。東京都墨田区在住。32歳。


初のパラリンピック出場に「最高の結果を出したい」と意気込む南雲(日本パラアイスホッケー協会提供)
初のパラリンピック出場に「最高の結果を出したい」と意気込む南雲(日本パラアイスホッケー協会提供)
 
 

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