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非五輪階級で腕磨く
教訓糧に世界へ挑む レスリング井上 

スポーツ | 神奈川新聞 | 2017年12月19日(火) 11:52


神奈川から初出場した愛媛国体で優勝。2大会連続の五輪出場へ井上はしぶとく、勝ち抜いていく=10月、愛媛県宇和島市
神奈川から初出場した愛媛国体で優勝。2大会連続の五輪出場へ井上はしぶとく、勝ち抜いていく=10月、愛媛県宇和島市

 レスリングの全日本選手権は20日、東京・駒沢体育館で開幕する。2020年東京五輪へ向け、新階級で実施される今大会。リオデジャネイロ五輪5位で、今春、富士工業(相模原市)に入社した井上智裕(30)はグレコローマンスタイル72キロ級に出場する。2大会連続の五輪をにらみ「冬の強化のためにも、まずは優勝してアジア選手権の代表にならないといけない」と闘志を燃やす。

 派手な大技があるわけではない。「いろんなことはできるけど、極めているものが少ない。攻撃で誰にでもかかる技がある選手はすごいなと思う」。だからこそ磨いたディフェンス能力の高さ。負けないレスリングに妙技が光る。

 持ち前の粘りが表れたのは10月の愛媛国体決勝。世界選手権代表で、6月の全日本選抜選手権で敗れた好敵手、泉武志(一宮グループ)を残り10秒で逆転し、王座を奪い取った。

 「ワンチャンスをものにして、あとはポイントをやらないこと。組み手に関しては長年やっている経験が生かせている」。五輪代表までの軌跡も、闘いぶりそのままに地道な歩みでチャンスをたぐり寄せた。
 


 兵庫・育英高で監督を務めていた父の下、小学1年からマットに親しんできた。「最初はあまり好きではなかった。痛かったりしんどかったりで」と懐かしむが、学年が上がるにつれ頭角を現していった。育英高、日体大でも実績を重ねたが、大きな転機は社会人になってから訪れた。

 2010年、母校の育英高で教職に就き、指導に携わる傍らトレーニングを積む道を選んだ。3年目、ロンドン五輪には届かず「教師一本で時間があるときにレスリングを楽しもうと思っていた」矢先のことだった。

 12年の全日本選手権で優勝。本人も予想だにしなかった栄冠に希望を抱いた。「まだ上を目指せるチャンスがある」と一念発起し退職。再び競技者としての生活が始まった。
 


 退路を断った男は強かった。66キロ級で14、15年と全日本選手権71キロ級を連覇すると、66キロ級に転じリオ五輪出場権を懸けた16年3月のアジア予選も突破。「人生で味わったことがない達成感があった」。人目もはばからず涙があふれた。

 ただ、五輪のマットは甘くなかった。初戦の2回戦でわずか2分7秒のテクニカルフォール負け。「自分が悔しいより周りの人に申し訳ない。結果を残さないといけない」。敗者復活戦を勝ち上がり、メダルまであと一つ、3位決定戦までたどり着いた。

 結果は敗退。だが、「悔しさよりもプレッシャーから解放された安心感があった」。重圧の大きさも、乗り越えるための厳しい練習も知った。再び繰り返すかと問われれば、素直には従えなかった。

 リオから戻り、一時は引退も考えた。だが、自国開催の五輪の誘惑は日増しに強まった。「日がたつにつれて負けた悔しさも出てきたし、母国で出てみたいなと」。今年4月、日本オリンピック委員会(JOC)の就職支援制度「アスナビ」を利用し、相模原市内にあるレンジフードなどの製造会社で働き始めた。
 


 東京五輪まで残り2年半。主戦場を非五輪階級である72キロ級に求めるのはリオで得た教訓からだ。「経験の差があった。戦術だったり技術だったりもあるし、海外に出たときの自分の形というのができていなくて通用しなかった」

 審判へのアピールも含め、外国人選手への対策が足りなかった。その差がメダルとの距離ならば、「まずは自分に合った階級で国際大会に出て強化していきたい」。非五輪階級で代表の座をつかみ、世界選手権などで国際経験を積むことが当面の戦略だ。

 その先に五輪の切符を懸けた闘いが待つ。減量を考慮すればさらに階級を上げた77キロ級に目が向くが、国内には泉のほか、屋比久翔平(ALSOK)ら強力なライバルがそろう。同じ日体大が練習拠点。日々スパーリングを挑み、苦手を克服したいという。

 「最終的な目標は東京五輪で金。まずは日本で勝ち、次は世界で勝たないといけない。一つ一つ目の前の大会で頂点を取っていかないといけない」。たやすい道ではない。だからこそ、目指す価値がある。

 いのうえ・ともひろ リオデジャネイロ五輪レスリング日本代表。富士工業所属。兵庫・育英高-日体大出。大学卒業後、育英高で後進の指導に当たるも、2012年の全日本選手権初優勝を機に競技に専念するため翌年退職。14、15年に同選手権を連覇し、16年リオ五輪のアジア予選を制して出場権を獲得。リオ五輪ではグレコローマンスタイル66キロ級2回戦で敗れるも、敗者復活戦を勝ち上がり3位決定戦に進出。ジョージア選手に敗れ銅メダル獲得は逃した。170センチ、77キロ。神戸市出身。30歳。


4月に富士工業に入社。職場からの熱い声援が後押しする
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