クラブ史に残る一戦で道を切り開いたのは、今季フロンターレに加わった新たな力だった。
すでにJ2降格の決まった大宮と対した2日の最終節。開始わずか46秒。阿部は味方のパスをペナルティーエリア手前で受けると、落ち着いたステップでシュートコースをつくり、コンパクトに左足を振り抜いた。
残り3節で最下位・大分に敗れて首位から陥落した2009年をはじめ、下位チームに多くの勝ち星を取りこぼしてきた「負の歴史」を拭い去るような鮮烈なゴール。勝ち点8差からの逆転優勝という“奇跡”の到来を予感させた。
得点能力開花
年間わずか4敗。クラブ史上最多だった昨季に並ぶ勝ち点72を挙げて悲願の初タイトルを獲得した川崎だが、開幕前の下馬評は決して高くなかった。
最大の懸念は昨季までの4シーズンで公式戦101得点と絶対的エースだった元日本代表FW大久保の退団だった。ただ、フロントも手をこまねいているわけではない。横浜Mのドリブラー斎藤の獲得こそかなわなかったが、それを除けば「希望通り」(クラブ幹部)の補強。1月の新体制発表会見で、鬼木監督は「必ずやプラスアルファの力が出てくる」と自信たっぷりに語った。
その期待に応えたのが、G大阪から加入した阿部だ。昨季まではサイドのポジションで攻守をつなぐ役割が多かったが、川崎では前線で起用され続けることで得点能力が開花。28試合で自己最多の10得点。最大の持ち味であるハードワークでも新たなチーム目標を体現した。
けがで出遅れた元日本代表のベテラン家長も徐々に適合した。瀬戸際だったG大阪戦、浦和戦と2試合連続で決勝点の起点になり、2日の大宮戦でも3得点をお膳立て。「チームにフィットしてからはこれ以上ないぐらい頼もしい選手になった。彼らのおかげで優勝できた」と川崎一筋15年目の中村も賛辞を惜しまない。
得点、アシスト、そして流れを読んだ冷静な試合運び。タイトルを知る両MFが無冠に泣いてきた川崎に有形無形の財産をもたらした。
根付いた哲学
1997年にJFLからスタートした後発クラブが創設時から掲げてきたのは攻撃サッカーという理念。高い足元の技術をベースに、独自の攻撃スタイルを築き上げるまでになった川崎には、今ではJ1の主力も魅了され、自らの成長の場として移籍を志願するまでになった。
「ゴールがたくさん入る試合の方がサポーターも楽しんでくれる」(庄子春男強化本部長)というクラブに根付く哲学がしっかりと実を結んでいる。