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ルヴァンカップ
「Sランクの左」を古巣に証明 元川崎の札幌DF福森

スポーツ | 神奈川新聞 | 2019年10月27日(日) 16:27

 PK戦の末に川崎フロンターレの劇的な初優勝で幕を閉じたサッカーJリーグのYBCルヴァン・カップ。決勝で昨年のリーグ王者を何度も追い詰めたのは、北海道コンサドーレ札幌のゲームキャプテンを務めたDF福森晃斗(26)=藤沢市出身=だ。かつて「Sランクの左足」と呼ばれた川崎育ちのレフティーが、古巣を相手にその価値をあらためて証明した。


YBCルヴァン・カップ決勝で1ゴール1アシストの活躍を見せた札幌DF福森(左)=26日、埼玉スタジアム
YBCルヴァン・カップ決勝で1ゴール1アシストの活躍を見せた札幌DF福森(左)=26日、埼玉スタジアム

 直前のビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)検証を巡るグラウンド内の混乱にも、ひとり冷静にゴールへの道筋を頭に描き続けていた。2―2の延長前半9分。ゴール右20メートル弱の好位置でFKを得た福森は、左寄りに構える川崎GK新井の狭いサイドに狙いを定める。

 「蹴るまで時間がかかったけれど集中できていたし、プレッシャーはなかった。ウオーミングアップの時からキックの調子が良くて、前半に1本外したけれど修正する必要はないと思っていた」

 川崎が築いた壁7枚の「高低差」も、プレースキックの名手は見逃さない。

 「最初に狙いたかったニア側には(186センチの)山村選手や背の高い選手がいた。反対側のポストの延長線上には(164センチの)長谷川選手と(168センチの)大島選手が見えた。あとは、絶対に決まってくれという思いで蹴った」。狙い通りに小柄な2選手側の頭上を抜いた鋭い弾道が、左ポストの外側から巻くようにしてネットに突き刺さった。

 福森は1―2の後半ラストワンプレーという場面でも、精度の高い右CKで起死回生の同点ゴールを演出していた。「素直にうれしかった。川崎に対して絶対に決めたいと思っていた」。敗戦の悔しさをこらえ、初の頂上決戦へ温めていた思いを明かす。


桐光学園高時代の福森=2010年
桐光学園高時代の福森=2010年

 その正確無比な左足に、10年近く前にほれ込んだのが川崎のスカウト陣だった。高卒同期でいまや川崎の司令塔に君臨するMF大島僚太を引き合いに出し、「大島はオールAの選手だけど、福森のキックはSランク。いますぐJ1に出ても、左足だけは間違いなく国内トップクラス」。加入前から、地元出身選手というひいき目抜きに最大級の評価を与え、フロンターレの未来を2人に託すイメージを描いていたほどだ。

 藤沢市立村岡中時代はFWとして全国8強入りに貢献。フロンターレの練習場から徒歩圏にある桐光学園高に進み、クラブチーム育ちの同級生が多い名門校で鍛えられた。最終ラインから40~50メートル級のロングボールを正確に蹴り分けて攻撃を組み立て、プレースキックも一手に引き受ける左利きというスペシャルな能力を生かし、全国高校総体(インターハイ)4強入りを果たしている。センターバックにコンバートした佐熊裕和監督(当時)は「決してエリートじゃないが、3年間で想像以上の伸びしろがあった選手」と評していた。

 川崎では新人時代の2011年にJ1デビューし、4年目にはプロ初得点。ただ定位置獲得はできず、期限付き移籍を経て札幌でその才能を開花させた。

 かつての同僚に1得点1アシストを許し、延長では1人少ない戦いを強いられた川崎にとって、このレフティーが最終盤に脚をつってピッチを退いたことは幸運だったかもしれない。福森自身も「個人的には120分出られないふがいなさがあった」と振り返りつつ、「ポジティブに捉えれば、川崎相手にここまで得点を取れて、しっかりと戦えるところを見せられた」。敗者から伝わる充実感が、好勝負の何よりの証しだった。

ふくもり・あきと 北海道コンサドーレ札幌DF 藤沢市の少年チーム・FC高谷04でサッカーを始め、村岡中のエースとして全国8強入り。桐光学園高に進んでセンターバックにコンバートされ、4強入りした2010年のインターハイでは優秀選手に選ばれた。11年に川崎フロンターレに加入し、15年から札幌でプレーする。J1通算108試合出場8得点。183センチ、75キロ。26歳。

 
 

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