東京五輪・パラリンピックを目指す県内ゆかりのアスリートの「リアル」に迫る新連載「THE REAL」。初回は北京五輪・ソフトボール女子の金メダルメンバー、山田恵里(日立、34歳)。数々のタイトルを手にしてきた「レジェンド」もベテランの域に入った。再びの最高峰へ何を思い、何のために闘うのか。
厚木商高時代は2度の全国高校総体(インターハイ)を制し、その卓越したバットさばきから「女イチロー」の異名を取るソフトボール女子の山田恵里(日立、34歳)。今も主将として日本代表チームをけん引する神奈川が生んだ希代のヒットメーカーだ。
2008年8月21日。それは女子ソフトボール界にとって忘れられない歴史的な一日だった。北京五輪決勝。上野由岐子(ビックカメラ、36歳)の3試合連続となる熱投、主将山田の本塁打などでライバル米国を破り初の金メダルを獲得したのだった。
列島を熱狂させた激闘。ただ、このとき既にソフトボールは12年のロンドン五輪で正式競技から外れることが決まっていた。試合後は両チームの選手が16年のリオデジャネイロ五輪での復帰を願って、ソフトボールをグラウンド並べ、「2016」をかたどった。それはマイナー競技の悲哀を感じさせるシーンでもあった。
しかし、願いはかなわずリオ五輪でも実施競技から落選。国際オリンピック委員会(IOC)の主な除外理由は「国際的普及度の低さ」だった。先行きの見えない状況に光明が差したのは16年8月のIOC総会。東京五輪で3大会ぶりに追加種目としての復帰が決まり、主に地元である横浜スタジアムで開催される運びとなった。
北京の栄光から10年余。目標を見失いかけ、現役引退が頭をよぎったこともあったという山田は「ホッとしたというか、諦めずやってきてよかった」と当時の心境を振り返る。五輪競技から外れた長い時間、山田を一線に踏みとどまらせたものは何だったのか。