
【カナロコスポーツ=佐藤 将人】神奈川の強豪私学において、「自主性」のチームと言えば野呂雅之監督率いる桐光学園だ。監督は報道陣や関係者と接する時に、選手を「うちの生徒さんが」という言い方をする。これだけでも、他の指導者とは選手へのつきあい方が違うことがわかる。
ぶれない強さ
桐光学園は練習場でも、指導者の声が響く時間が非常に短い。もちろん随所でアドバイスは入るし、怒鳴りつける時もある。ただ基本的には、課題を意識させた後は選手同士で指摘し合わせ、それを見守っている。
そんな野呂監督は、横浜を退いた小倉元部長からこんなことを言われたのを覚えているという。
「最近の子供は気質が本当に変わったよ。お前のやり方に、マッチする子が増えてきたな」
小倉元部長もやはり、思うところがあったのだ。
野呂監督は、早稲田実業の出身だ。自らが「高校野球」を学んだ母校の影響を、こう語る。
「当時は10年で6回も7回も甲子園に出てしまうような時代。選手を放牧していても、結果が出てしまう。そういう環境の中で(早大時代を含め)7年間やってきた。やっぱり、その『血』はあるよね」

関係者や報道陣の間ではよく、「本命なき夏は桐光が強い」と言われる。それはつまり、桐光が年による戦力のばらつきがありながらも、夏までには常に「狙える」チームを作りあげていることの証左でもある。
参謀を務める塩脇政治部長も、5年前から加わった天野喜英コーチも、監督の教え子だ。「神奈川の私学の監督で最年長になっちゃったけど、やっと理想的な態勢になったばかり。ここからだよ、むしろ」(野呂監督)。指導が一貫しているからこそ、そのスタイルに合った選手が集まり、チーム作りもやりやすくなる。ぶれないことが、いかに大切かがわかる。
「気持ち、よく分かる」

だが、若き平田監督を待つのは茨の道だ。
渡辺前監督、小倉元部長という高校野球史に残る2人の後を継ぐというプレッシャーだけでも相当だが、他校の指導者やファン、OB、そして我々マスコミ、それぞれが「語りたくなってしまう」のが横浜というチームだ。選手が1年で入れ替わるという宿命があり、浮き沈みから逃れられないのが高校野球だが、それでも横浜は強くあることを求められ続けてしまう。
20年前。同じく名門の強烈な重圧の中にあったのが、東海大相模の門馬監督だ。