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横浜高・渡辺監督が勇退 甲子園5度制覇 今夏限り、後任は平田部長

高校野球 | 神奈川新聞 | 2015年5月14日(木) 03:00

全国選手権大会で春夏連覇を達成し、胴上げされる渡辺監督=1998年8月22日、甲子園
全国選手権大会で春夏連覇を達成し、胴上げされる渡辺監督=1998年8月22日、甲子園

 春夏合わせて5度の全国制覇を誇る横浜高校(横浜市金沢区)野球部の渡辺元智監督(70)が今夏限りで勇退することが13日、分かった。長年の激務による体調不良が理由で、今後は終身名誉監督として指導に携わり、後任監督をサポートする。ベンチに入って指揮を執るのはことし夏の大会が最後となり、後任は渡辺監督の教え子でもある同校野球部の平田徹部長(32)が務める。

 渡辺監督は神奈川新聞社の取材に「思うように体が動かなくなり、グラウンドに出るのが負担になった。選手を裏切るような形になって申し訳ない。夏は最後まで指揮を執る」と語った。

 渡辺監督は1944年の松田町生まれで、高校時代は同校の外野手として活躍。卒業後はコーチを経て、68年に24歳で監督に就任し、同校野球部前部長で、昨夏限りでコーチも退任した小倉清一郎氏(70)とともに全国屈指の強豪校に育て上げた。

 監督としては春の選抜大会に15度、夏の全国選手権大会に12度出場。98年には松坂大輔投手(プロ野球ソフトバンク)や小池正晃外野手(現横浜DeNAコーチ)らを擁し、春夏連覇を達成するなど春は3度、夏は2度の全国制覇を果たしている。監督として挙げた甲子園通算勝利数51勝は、智弁和歌山高校の高嶋仁監督の63勝、大阪・PL学園高校の中村順司元監督の58勝に次いで歴代3位タイ。

 松坂投手のほか、涌井秀章投手(ロッテ)や筒香嘉智外野手(横浜DeNA)ら多くの選手をプロ野球界に輩出しただけでなく、野球を通じた人間教育をモットーに選手を育成。時に寝食をともにするなど情熱的な指導で、ことし創部70周年を迎えた同校野球部を半世紀にわたり支えてきた。

貫いた人間教育 数々の栄冠

 指導者としての足跡は名投手とともに歩んだ道でもある。

 監督に就任してわずか5年後の1973年の全国選抜大会では、故永川英植(元ヤクルト)を率いて初出場初優勝の快挙を達成。80年夏は愛甲猛(元ロッテ)を中心に全国選手権大会で初優勝。98年には松坂大輔(ソフトバンク)を擁し、球史に残る戦いを演じた。

 同年の選抜大会を制すると、夏は熱戦に次ぐ熱戦だった。準々決勝でPL学園(大阪)との延長十七回の死闘に9-7で決着をつけると、明徳義塾(高知)との準決勝は6点を追う八回から逆転サヨナラ勝ち。京都成章との決勝は松坂が無安打無得点試合で締め、当時史上5校目の春夏連覇を成し遂げた。

 前部長の小倉清一郎氏(70)とともに二人三脚で歩み、走攻守全てで緻密なプレーを徹底。細部までこだわった「横浜野球」は、2000年代に入っても全国を席巻し続けた。ただ、むしろ貫き通したのは「野球を通じた人間教育」だった。

 監督業の傍ら、関東学院大の夜間部に通い教員免許を取得。学校に合宿所がなかった時代には選手とともに同じ釜の飯を食べ、親身になって指導してきた。

 激務がたたり、脳梗塞で倒れたのは04年5月。1日の飲み薬は10錠を超え、術後は主治医から「3カ月の静養が必要」と言い渡され、グラウンドに出ることは禁じられた。

 だが、20日間の休養後には指導に立ち、その年の夏の神奈川大会制覇に導いた。以降もめまい、体のしびれといった体調不良が襲う中、ノックバットを振るってきた。それも全て選手のためだったが、昨年8月に小倉氏がコーチを退いてからはさらに体調は悪化していた。

 ことし2月に行われた野球部創部70周年の記念式典。「もう一度、甲子園での連覇を目指す」と誓いを立てた。その頂からの景色を最後に見たのは9年前、2006年の春になる。

 経験、知識、そして勝負勘。指導50年で培った全てを出し尽くす夏が始まる。


渡辺元智監督
渡辺元智監督

甲子園で選手に指示を出す渡辺監督=2014年3月27日の八戸学院光星戦
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