横浜DeNAベイスターズで選手、指導者として42年間在籍、活躍した高木由一氏(66)が今春、母校の麻布大付高(相模原市中央区)野球部の非常勤コーチに就任した。マシンガン打線を生み出し、1998年の日本一に貢献した元打撃コーチは将来の監督就任も視野に入れ、プロの打撃理論を若い後輩たちに授けている。
「一瞬の流れの中でトップをつくれ」「上体を残して『割れ』(下半身と上半身の時間差での動作)をつくれ」-。
4月下旬、小雨が舞う同高グラウンド。約35人の部員の熱い視線を受けながら高木氏はバットを振るっていた。
「麻布大付は強打者ぞろいだと言われるようになろう」。2千安打を達成した石井琢朗や、2度首位打者に輝いた鈴木尚典を育てた教えが予定時間をオーバーして熱く続く中、マネジャーがビデオで撮影し、コーチはメモを走らせる。
鈴木優斗主将は「プロの指導を受けられて心強い」と目を輝かせた。今後は月2回ほど指導に訪れるという。
高木氏は2013年オフにベイスターズを退団し、昨季から社会人・JR東日本でも打撃アドバイザーを務めるなど、指導者としての舞台をアマ野球に移した。母校からは監督就任も要請されたが、当面は相模原市役所時代に野球部でバッテリーを組んでいた元同僚の坪池明雄氏(66)に監督を依頼。坪池監督は「チームの土台をつくり、いずれは高木に引き継ぎたい」と話す。
プロではバット一本で生きてきたが、母校では守りや走塁も教える。
「この年になっても勉強」と、JR東日本でともにアドバイザーを務める安田猛氏(元ヤクルト)や銚子利夫氏(元大洋)らに学ぶ日々。「プロより育てがいはある。野球を通じて人間形成をし、高校生活も充実させてやりたい。野球の底辺も広げたい」と夢が広がる。
自身の高校時代は部員10人ほど。1966年夏の神奈川大会は初戦で戸塚高に0-5で敗れた。OB唯一のプロとして、卒業後も夏が来るたび、躍進を期待してきたが、「ずっと低迷しっぱなしだった。いずれは母校で指導して強くしたいと思っていた」。
久々にアマ野球の世界に戻り、「負けたら終わり」の緊張感を思い出したという。「やるからには、母校を勝たせて注目してもらいたい。学校が野球部を強くしたいという考えであれば、将来的に監督もやってみたいね」。母校を率いて甲子園を目指す気持ちも膨らんできている。