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全国高校野球:福島で被災、原発避難… 「周囲の支えに感謝」東海大相模・楠選手

高校野球 | 神奈川新聞 | 2014年8月17日(日) 03:00

盛岡大付戦の1回に内野安打を放つ東海大相模の楠選手=兵庫県西宮市、甲子園球場
盛岡大付戦の1回に内野安打を放つ東海大相模の楠選手=兵庫県西宮市、甲子園球場

 16日に行われた高校野球の全国選手権大会で、惜しくも初戦で涙をのんだ神奈川代表の東海大相模。1番打者の楠研次郎選手(17)は特別な思いを抱き、甲子園のグラウンドを駆け抜けた。福島県楢葉町の出身。敗れたとはいえ、中学2年のときに東日本大震災に遭った3年生の胸は、周囲への感謝の思いでいっぱいだった。

 九回裏に1点差に迫り、なおも2死一、三塁。あと2人出塁すれば自分に打席が回ってくる。「1球で勝負をかける」。強い気持ちで仲間を信じて待ったが、思いは届かなかった。最後の打者が内野ゴロに倒れるのを見届けると、力なくうなだれた。

 自らの進路について思いを巡らせていた頃だった。中学2年の2011年3月11日。友人の家でバーベキューをしている最中、震災は起こった。

友人らとともに避難。高台から見下ろした楢葉町の風景は見慣れたものとは全く違っていた。ついさっきまで笑い声があふれていた友人宅も津波にのまれた。家族は無事だったが、チームメートが命を落とした。

 「当初は野球を続けられるとは思わなかった」。東京電力福島第1原発事故の影響で避難を強いられ、同県喜多方市、次いで同県いわき市へと移った。野球道具は楢葉町の自宅に置いたまま。それでも、両親に背中を押されて中学3年となった春、結成間もない、いわき市内の硬式野球のクラブチームに入団した。「土に触れてはいけないと言われていたし、草地にも近づかなかった」。プレーできる喜びを感じるとともに、一方でもどかしさも募らせていた。

 小学生の時はエースで4番。中学時代も地区の選抜チームの主戦として活躍していた好選手には、県内外の名門校から誘いの声が掛かっていた。選んだのは神奈川の名門、東海大相模。「成長した姿を見せたい」。家族へ、友人への思いとともに、強豪の門をたたいた。

 「野球人生、変わっちゃいましたね」。そう言いながらも、その表情は決して後ろ向きなものではない。控え選手からはい上がり、最後の夏に聖地までたどり着いた高校生活は充実したものだったと胸を張って言える。

敗れはしたが2安打も放った。「両親をはじめ、みんなに支えられてここまで来た。だから、みんなにありがとうと言いたい」。その目に涙はなかった。【神奈川新聞】

 
 

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