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野球界盛り上げなるか、プロアマ交流に転機

高校野球 | 神奈川新聞 | 2014年3月24日(月) 14:00

グラウンドでの指導風景がことしから、がらりと変わるかもしれない。日本高校野球連盟は昨年、プロ野球経験者が高校の指導者になるために必要だった学生野球資格を回復する条件から「2年以上の教諭歴」を撤廃し、短期間の座学の研修だけで元プロが高校の監督などに就けることになった。初年度に資格回復の認定を受けたのは435人。すでに元プロが高校の監督に就任し、プロ、アマの関係は大きな転換期を迎えている。

■わが子にも…■

「息子にも教えることができないからな」。プロ野球元横浜(現横浜DeNA)投手で、1987年に大阪・PL学園高のエースとして甲子園で春夏連覇を達成した野村弘樹さん(44)は、そう言ってかぶりを振る。

長男は高校野球に励み、次男もまた兄の背中を追おうと汗している。ただ長男は高校生。父であろうと、甲子園優勝投手であろうと、目の前のわが子に手を差し伸べられない。処分の対象にもなる。

社会人野球の名門JX-ENEOSの監督で、プロ野球近鉄(現オリックス)でプレーした大久保秀昭さん(44)ももどかしさを感じてきた。「『甲子園、目指して頑張れ』と声を掛けるぐらい。こうやればいいのになと思っても声を掛けられない」。母校の桐蔭学園高(横浜市青葉区)に足を向けても、長居が許されない空気がグラウンドにはあった。

プロとアマ。その交流がこれほどまで厳しく制限されたのはなぜか-。きっかけは1961年4月に起きた「柳川事件」にある。

プロ側が社会人選手と一方的に契約したことがアマ側の不信感を生んだ。一線を引かなければ、子どもたちが金銭などによるプロ側の不正なスカウト活動に巻き込まれかねない。以降、プロとアマのこじれた関係が長く続いてきた。

■道が開く■

雪解けは2013年だった。高校野球では、1984年に教諭歴が10年あれば指導者になれる特例が設けられ、94年に5年、97年に2年と短縮されてきた。その特例が昨年、不要になった。改善を強く訴えたプロ野球選手会などに高野連側が歩み寄り、プロが引退後に高校生を教えられる道が大きく開けた。

学生野球資格を回復するまでの流れはこうだ。

(1)プロ野球を退団(2)プロ側が実施する研修を受講(3)日本学生野球協会側が実施する研修を受講(4)日本学生野球協会の書類による審査を通過し、資格回復(5)回復者は指導可能な都道府県高野連などに届け出る-。これらを経た上で、指導を希望する学校側が高野連などを通じて依頼すると、元プロの指導者が誕生するという運びだ。

学校長から監督、コーチに委嘱された場合は指導する日が限られた場合であっても常勤者、それ以外は非常勤者となる。

常勤者はプロ野球の実況中継の解説やプロ現役、OBとの試合出場、タレント活動などが禁止される。また報酬は日本学生野球憲章により「当該加盟校の教職員の給与に準じた社会的相当性の範囲を超える給与、報酬を得てはならない」とされた。非常勤者は解説などは許されている。

■警戒感も■

「もちろん選手のレベルによるが、球種だったり、投げ方だったり、けがの予防だったり…。教える日が楽しみだよ」。学生野球資格を回復した第1号の一人になった野村さんが笑う。「監督さん、コーチの考えを聞いてあくまで協力するというのがスタンス。公立、私立、どこでも無報酬でやりたい」

野球解説者を務めているため、プロ野球のシーズンオフに非常勤として指導したいと考えている。同じく資格を回復した大久保さんも意欲を示す。

ただ心配もある。高校野球関係者は「高給で元プロ選手を雇うような学校も出てくるかもしれない」「今以上に公立と私立の力の差が開くのではないか」と警戒感を強める。

元阪神の投手で、2年間の教諭経験を経て母校の藤沢翔陵高で指揮を執る川俣浩明監督(41)はこう言う。「勉強で嫌なことを避ける、嫌な先生から逃げるというのはグラウンドでもある。日常生活をきちんと見て、その教育がグラウンドでも一致したときに本当に強いチームをつくれると思う」

アマチュアのレベルアップを通じて野球界全体を盛り上げようという今回の制度改革は、プロ選手のセカンドキャリアの選択肢が増えるという面でも注目されている。懸念材料はあるとはいえ、日本の野球は新時代に入った。

■横浜高校・渡辺元智監督「人間教育に重き置いて」

横浜高を半世紀近く率い、全国的な強豪に育て上げた渡辺元智監督(69)はこう指摘する。「選手の内面を把握しないと高校生の指導は難しい」

母校のコーチに就いたのは二十歳のころ。「私は野球で呼ばれたけど、後に教員免許を取っていて良かったと思う」。鉄拳制裁が当たり前だった時代から、選手の人間教育に重きを置いた円熟の采配へ。時には選手にメールを送るなど、多感な選手の内面と向き合う日々だった。

教壇に立ち、生活指導も含め、選手と深く向き合うことで人間的な成長を促す気持ちは加速した。「野球だけでは駄目なんだと気付いた」。名門であってもプロへ進むのはわずか一握りだ。「野球をやめた後の人生をどう生きさせるかが大事」と話す。

もちろん、プロ経験者への敬意はある。「正しい技術を教えることは、プロまで行った人間でないとできないものもある」と言う。ただ「今まで勝てなくても人間教育をきっちりとしてきた先生方はどうなるのか」。技術を重視するあまり、生活面に重きを置いた指導がないがしろにされる可能性もある。

そこで提言する。アマの指導者がプロから技術を学ぶ研修会があってもいいのではないか。「先生方は教えることについてはプロ。そこに野球の技術が導入されれば日本の高校野球界に大きなプラスになる」。そして続けた。「その地域のレベルアップが全体のレベルアップにつながる。母校だけじゃなくて、どこの学校でも指導してくれればいいね」

◆柳川事件 プロ、アマの関係が悪化するきっかけとなった出来事。プロ野球は1961年4月に日本社会人野球協会と前年まで締結していたプロ退団者の登録時期や人数に関する協約締結拒否を決定。この直後に中日が柳川福三外野手(日本生命)と契約した。この一方的なプロ側の行為に対して、アマ側はプロ退団選手の社会人選手としての受け入れを拒否することを決めた。

【神奈川新聞】

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