「やまびこ打線」と呼ばれた豪打で1980年代に計3度、春夏の甲子園を制した徳島・池田高が、27年ぶりの選抜大会に挑む。故蔦文也監督の下で初の全国制覇を果たした82年夏のエース、横浜DeNAベイスターズ職員の畠山準さん(49)は「新しい池田がここから始まる」と、大会第2日の初戦を待ちわびている。
打ち始めたら止まらない。当時はまだ珍しかった筋力トレーニングで鍛えられた打力は圧巻の一言だった。
畠山さんが主戦を務めた82年夏。池田は早実(東京)との準々決勝で相手エースの荒木大輔(元ヤクルト)を14-2で打ち砕くと、決勝も広島商を12-2の圧勝で頂点に立った。
翌年も勢いは止まらない。83年春の選抜は水野雄仁(元巨人)を大黒柱に連覇を達成。だが、同高を40年率いた蔦監督が92年に勇退すると、その夏を最後に聖地から遠ざかった。
卒業後、17年にわたってプロ生活を送った畠山さん。「ずっと(徳島県大会の)試合結果を気にしていた」という。「蔦先生が亡くなり、(山あいにある)地理的な問題も相まって生徒が集まらなくなった。復活は(2012年春に)選手寮を再開できたことが大きい」と感慨深げだ。
率いている岡田康志監督(52)は同高野球部の3年先輩。「池田イコール蔦先生。巨大な山に一歩ずつ近づくのは苦しかったと思う」と、苦労をしのぶ。
昨秋、数年ぶりに池田町を訪れた。部員の姿に「みんな小柄だな」と感じた。それでも、四半世紀以上閉ざされた扉を開いた後輩たちを頼もしく思う。「『やまびこ打線』は僕らの頃のイメージ。気にせず、自分たちの野球をすればいい」とエールを送る。
22日に予定される海南(和歌山)との初戦は、日帰りで甲子園へ駆け付ける。かつてのヒーローは「あわよくば一度、甲子園で校歌を歌いたい」とアルプススタンドで祈りながら、新生・池田の船出を見守る。
◆はたやま・ひとし
池田高からドラフト1位で1983年に南海(現ソフトバンク)入り。88年に野手に転向すると、91年に大洋(現横浜DeNA)に移籍した。強肩強打の外野手として活躍、オールスターに3度出場した。99年に引退し、2000年から球団職員。通算成績は投手として55試合6勝18敗、防御率4・74。打者としては862試合で打率2割5分5厘、57本塁打、240打点。
【神奈川新聞】