100回目を数えた今夏の全国高校野球選手権大会で、北神奈川代表として10年ぶりに出場した慶応高校の髪型が多くの視線を集めた。丸刈りのチームが大勢を占める中、同校は伝統的に髪を伸ばしているからだ。神奈川の球史をひもとくと1990年代はスポーツ刈りが増えたが、2000年代に入ってまた頭を丸めるのが主流になっている。時代背景も含め、あらためて高校野球における丸刈りの意味、あり方を問うてみたい。
今夏の甲子園。慶応ナインは、頭髪への質問を何度も受けた。
「なぜ伸ばしているの」「その意味、その意義は」
100人を超える部員のほとんどが「非丸刈り」の伝統校はやはり、異色と捉えられていた。
同校硬式野球部の赤松衡樹部長は、選手の入部時にこのように伝えている。
「高校野球が丸刈りじゃなければいけない理由はない。常識にとらわれず、本質を見極めて、自分で決めてほしい」
面白いのは、同校への進学を希望する中学生から「丸刈りは駄目なんですか」と聞かれることだ。もちろんそんなことはなく、大事なのはあくまでも自分で考え、自分で納得して決めること。ただ赤松部長は「そういう選手も、大抵は髪を伸ばしますね」と話す。
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同校がずっと特異な存在だったかというと、そうでもない。
スポーツ刈りが大半ではあったが、特に1980年代後半から90年代末にかけて、県内でも多くのチームが頭髪に幅を持たせるようになった。折しも80年代から90年代は「丸刈りの強制」イコール「管理教育の象徴」として、そこからの脱却が叫ばれた時期だ。
80年代に管理教育が色濃かったとされる愛知県岡崎市の公立中学校で、丸刈り強制の校則の撤廃を求めて立ち上がったある父親の行動が市民運動にまで発展、多くのメディアで取り上げられる。いよいよ同市議会への請願提出というタイミングだった88年、文部省(現文部科学省)が「細かすぎる校則の見直し方針」を打ち出し、全国的に「髪型の自由化」が広がった。
こうした流れの中、子どもたちの中にくすぶっていた「丸刈りはかっこ悪い」「モテない」という不満がいよいよ浮かび上がるようになってくる。
86年夏の全国選手権神奈川大会を前にした本紙は、「丸刈りなんてカッコわりぃ」との見出しで、その強制を理由に2年生部員13人中11人が辞めた県立大原高校(閉校)野球部の顛末(てんまつ)を載せている。
それまでの髪型自由の方針を転換した理由について、当時の同校の新監督はこう語っている。