
記念の100回目を迎える夏の高校野球。神奈川大会でも、数え切れない物語が紡がれてきた。黒子として支えた裏方、後にプロへと開花した無名選手、夏の経験を糧に今は市民を守る元球児、甲子園に肉薄した公立の名選手まで「アナザーヒーロー」を紹介する。
判定に「頑張れ」込め
県野球連盟審判部副部長 福住 正美さん
37年間、人生をジャッジに懸けてきた。県野球連盟審判部副部長・福住正美さんは、今年が最後の夏となる。60歳の「定年」を迎えるからだ。
現役時代は大和高校の外野手。3年時の1975年夏には16強入りした。「ほとんど初戦負けのチームが11人でそこまでいけた」。最後は原辰徳さん(元巨人)擁する東海大相模に4回戦で完敗した。
大学に進むと地元の草野球チームに誘われてプレーしていた。あるとき、先輩に言われた。「大会の審判名簿に名前入れておいたからな」
高校野球の講習会を受け、24歳から登録された。審判で甲子園へ-という夢ができた。大舞台には全国各地から持ち回りで代表が派遣される。週末の休みを確保するために転職した。そして2003年、45歳で思いは現実となった。