伝説の「YY対決再び」-。神奈川新聞社と県ケーブルテレビ協議会は16日、横浜市西区の西公会堂で「神奈川球史 レジェンド座談会」と題したトークイベントを開いた。第1部ではともに元プロ野球選手で横浜OBの愛甲猛さん(55)、横浜商(Y校)OBの宮城弘明さん(56)が熱狂に包まれた当時のライバル対決を振り返り、第2部では両校を指導した小倉清一郎さん(74)が愛甲さんとの「師弟トーク」を披露。東海大相模出身で大の野球好きとして知られるお笑いコンビ「囲碁将棋」の進行で約500人の来場者を楽しませた。
愛甲さんは1年夏(1978年)の神奈川大会準々決勝(柏陽戦)でノーヒットノーランを達成し、決勝でY校を下して優勝投手となった。
愛甲 俺は(初戦の)2回戦からリリーフでしか投げてなかった。前日に渡辺さん(元智、前横浜監督)から「おまえ、あした先発な」って言われて。初めて公式戦で先発した試合がノーヒットノーランになっちゃった。あの時は本当に調子が良かったんだと思う。
Y校に対しては、通いだし、女子がいるし。うちなんか男子校だから、ほんとうらやましかったよ。まず最初にライバル心を燃やしたのはそこだよね(笑)。
宮城 ひと言だけ言わせてもらうけど、Y校の女性をみんな持ってっちゃうのが、横浜高校の野球部なんですよ(笑)。愛甲さんのファンももちろんいましたしね。
僕は1年生の夏はスタンドで応援していました。正直、同い年の左ピッチャーでとんでもないやつが出てきたなと。彼をやっつけないと甲子園には行けないんだと。何か一つ、絶対に負けないものをつくらないといけないなと思いました。
Y校は寮がないから、毎日自宅の鶴見区から通っていました。ある日、練習から帰ってくつろいでテレビを見ていると、六つ上の大学生の兄が「今ごろ、愛甲君はバット振ってるよなあ」なんてふっと言うんですよ。すぐ外に出てバットを振って、坂道をランニングしたのを覚えています。
僕はスイングを100回やるところを101回、100球投げるところを101球投げていました。愛甲さんに勝てるものは「角度」と「重さ」しかないと思ったので、そこに磨きをかけた1年でしたね。
愛甲 俺ね、本当に申し訳ないんだけど、この試合全然覚えてないの(笑)。中島さん(浩人、元巨人)っていう宮城くらいでかくて、当時神奈川ナンバーワンと言われてたピッチャーからたまたま長打を打てたのと、自分が打たれたことしか記憶にない。
最後は二直で、ランナーが飛び出してゲッツーで終わったんだけど、二塁の同じ1年の安西(健二、元巨人)が捕った。俺は捕手の3年生と抱き合わなきゃいけないのに、後ろに走って安西と抱き合っちゃって。試合終わってからめちゃめちゃ怒られた(笑)。