「60点」の哲学貫く
日大藤沢の山本秀明(48)にしてみれば、「まあね」という感じだった。監督就任3年目の2007年春、36歳にして母校を選抜甲子園に導いた。自信があった。若かった。「ちょろい」と思っていた。
同校卒業後、捕手として社会人野球の三菱自動車川崎に進んだ。全国最激戦区の神奈川で、高校野球よりシビアな一発勝負の世界を生き抜いた自負があった。甲子園くらいは-と思っていた。
指導者になるなんて思っていなかった。「プロだけが目標でしたから」。兄はプロ野球最年長現役記録を打ち立てた200勝投手、山本昌広だ。
「小さい頃から僕の方が才能があると言われていたし、自分でもそう信じていた」
社会人野球では月給の手取りが10万円に届かなかった。早くプロになりたかった。3年目にはレギュラーになった。
だが大会中、ファウルチップが股間を直撃し、睾丸(こうがん)の一つが砕けた。「それでプレーが怖くなってしまった」。心が折れたのにはもう一つ理由があった。
「バルセロナ五輪主将だった東芝の高見(泰範)さんをはじめ、当時の社会人神奈川勢の捕手はみんな全日本クラス。それでもプロには行けない。自分には全てが足りなかった」。野球人生で初の、そして決定的な挫折だった。