

高校野球の選手ではなく監督がプロにスカウトされるなんて、異例中の異例だろう。光明相模原を指揮していた本村幸雄(47)は、2011年に日本ハムのフロントに“引き抜かれ”た。
現在の肩書は同球団の「選手教育ディレクター」。平たく言えば若手の教育係だ。千葉県鎌ケ谷市にある2軍施設の選手寮に常駐している。
斎藤佑樹、大谷翔平、清宮幸太郎ら甲子園を沸かせたスターをはじめ、横浜から入団した近藤健介や浅間大基、宮台康平(湘南-東大)ら神奈川出身の若手たち。みんな、本村が考案した「野球日誌」と、「長期目標達成シート」をつけながら成長していく。
日誌を厳しくチェックすることで日々の練習を流さずに、自らを客観的に見つめる癖をつけさせる。シートに長期目標「10勝投手」と書いたら、そこから「1年目に1軍登板」、さらに「夏までにファームで3勝」などと足元の目標を定めさせる。これを寮内で公開することで有言実行させていく。
「プロではただ指導をうのみにして、自分で丸バツをつけられない選手も駄目。自分で考える力、気づく力がなければ絶対大成しないから」
米・大リーグへ巣立った大谷はすごかった。「2軍に下がってきた時に、自分から日誌を書きたいからくださいと言ってきたのは大谷だけ。中身を埋めるだけでも大変なのに、大谷はびっしり。しかも目標も具体的で、そこに至る道筋も言うことがなかった」
ただ「選手の大半は面倒くさいと思うでしょうね」。嫌われ役は百も承知だ。車の免許を取得するにも、本村の許可が要る。茶髪にしてきた選手には、「おまえの実績で監督がそれ見て、1軍に上げたいと思うか?」。
本村が預かった高卒選手で、1軍に上がれずに解雇になった選手は1人だけ。「言われてやる」ではなく、「自分からやる」を当たり前にする指導を編み出したのが、光明監督時代なのだ。
