

暮れも押し詰まっていた。1990年の師走。雨降りしきる深夜のことだ。桐蔭学園の監督だった土屋恵三郎(64)の横浜市内の自宅のチャイムが鳴った。
真夜中に何事かと土屋が顔を出すと、野球部主将の高木大成(元西武)を先頭に最上級生全員が玄関先に並んでいた。
雨に打たれ、びしょぬれの高木が発した言葉は思いもよらないものだった。「監督さん、このままじゃあ、僕たちはついていけません」。土屋はこの“事件”を、30年近くを経てなお「監督人生の変わり目」と話す。
それまでの土屋の指導は自他ともに認める「スパルタ式」だった。「俺についてこい! って、そりゃあもうバチバチやってたね」。「やる気」「気合」を合言葉に正月も休まず練習。はだしでグラウンドを走らせることも日常だった。
ぬれた選手たちをタオルで拭いてやりながら、はっとした。「俺も現役の時、監督に言いたくても言えなかった。こいつらはちゃんと言ってきた。しっかり受け止めてあげないといけないな」

高校時代、厳しい練習に耐え抜いて甲子園を制したからこそ、土屋が選手たちに求めたレベルは高かった。
