まさに不世出。神奈川高校野球史をどこまでさかのぼっても、小倉清一郎(73)のような存在はほかにいない。
2014年夏を最後に高校野球の現場を退くまで、41年間にわたりコーチや部長として静岡・東海大一(現・東海大静岡翔洋)、横浜商業(Y校)、横浜を渡り歩き、春夏通算31度の甲子園出場に尽力した。
12年間在籍したY校では監督・古屋文雄をサポートし、1983年に春夏連続準優勝に貢献。母校・横浜を率いる同級生の渡辺元智とタッグを組んだ25年間では、98年に松坂大輔(中日)を擁して春夏連覇など3度甲子園を制覇。卓越した小倉の指導でそれぞれを全国屈指の強豪へと変貌させた。
甲子園で関わった勝利数は東海大一で1勝、Y校時代に23勝、横浜の38勝で、“通算62勝”は全国の歴代監督勝利数ランキングと比較すれば2位に相当する。
「まあまあの成績を残したよね。俺と渡辺だけだよ。これだけ長い間、神奈川に君臨したのは」。丸刈りに日焼け顔。ずんぐりむっくりの巨体は今も健在だ。横浜市中区本牧。小倉は地元の喫茶店でたばこをぷかりと吹かして口を開いた。
小倉を「名参謀」たらしめたのは理詰めのデータ野球だ。相手打者のヒットの方向や球種、コースを割り出し、投球の組み立てや内外野の守備位置に生かす。さらにグリップの位置、構えたバットの角度などスイングの癖まで洗い出す。投手は球種、球速はもちろん、バッターを打ち取るまでの配球など緻密なデータを構築していく。
こうした地道な偵察による分析を書き続け、ライバル校の弱点を丸裸にしてきた通称「小倉ノート」を、今回特別に見せてもらった。
シーンは2013年、横浜-桐光学園の神奈川大会準々決勝。桐光のエースは、2年夏の甲子園で大会史上最多の1試合22奪三振を記録するなど一躍脚光を浴びた松井裕樹(楽天)。超高校級でプロ注目の左腕に熱視線が注がれていた。