マリンブルーのユニホームが激戦区・神奈川のシンボルとなり、甲子園を席巻した1980年代。横浜商(Y校)の中心には古屋文雄(74)がいた。監督歴19年で春夏8度の甲子園出場は群を抜くが、「夏はなかなか勝たせてもらえなかった」。初めて聖地に立つまでに、その半分近い年月を費やしていた。
「ジャンボ」と呼ばれた宮城弘明と、のちに全国優勝投手となる「アイドル」愛甲猛の左腕対決で注目された79年の神奈川大会決勝。就任8年目の古屋は、試合後の優勝インタビューで「怖かった、勝つまでは」と正直な心境を述べている。
前年まで2年連続の準優勝。満員の横浜スタジアムは、古豪復活を期待するY校ファンが7割近くを占めたという。相手の愛甲は準決勝で無安打無得点と絶好調だ。「前の日の夜から(頭の中で)2試合くらい戦って、負けて、負けて…」
そんな重圧を初回、開き直りの采配につなげた。先攻のY校は無死一塁。古屋は横浜の鍛えられた守備シフトを見て送りバントを諦め、ヒットエンドランに切り替えた。大胆な作戦が奏功し、2死後の内野安打で先制。これが勝敗の分かれ目となった。
渡辺元智の敗戦の弁は「向こうの積極的バッティングにやられました」。走攻守に押せ押せムードで、相手をマイペースに引きずり込んでしまう「ワイワイ野球」。46年ぶりの夏の甲子園出場の原動力だった。