1957年から今なお破られない夏の神奈川大会5連覇を達成し、61年には戦後初の甲子園夏春連続優勝を成し遂げた法政二。「高校野球史上最強」とうたわれた「田丸野球」をつくり上げ、その後、県内外の多くの指導者に影響を与えたのが、田丸仁(故人)だ。
「とにかく野球への情熱がものすごい人。個々の選手の能力よりも、チームで戦うことを重視した監督さんだった」。黄金時代を謳歌(おうか)したチームの中心にいた柴田勲(74)は、恩師との日々を感慨深く振り返る。
「当たり前のことを当たり前にやる」。これが田丸のスタイルだった。「入学するとまずグラブの指のひもを外されるんだよ。しっかり捕球しないとボールが指の間から抜けていっちゃう。体の正面で、手のひらでちゃんと取れと」
バントやエンドランを多用するスモールベースボールの礎となった米大リーグ「ドジャースの戦法」。巨人監督の川上哲治が実践し、9連覇を達成したことで知られるが、田丸は最先端の野球理論をプロよりも早く取り入れていたという。
後に巨人でV9戦士となる柴田は「田丸さんに教わっていたので、巨人のミーティングの内容はほとんど知っていた」。基本に忠実で、細部まで隙のない緻密な野球をいち早く導入した「田丸野球」は、革新的だった。