
高校時代から、佐藤和弘(53)はやはり「パンチ佐藤」だった。
3年春の関東大会に臨んだ武相は、初戦で荒木大輔がいる早実(東京)と当たった。1982年5月。4季連続で甲子園に出ていた大スターは、先発を回避していた。
四回。佐藤は意地のアーチを架ける。「試合前から荒木を追うカメラのシャッター音ばかりで。いっちょやってやろうと思っていました」
これ見よがしにベースを回るが、一塁を蹴ったところで、ずっこけてしまう。「荒木が出てこねえからだ。ざまあみろって、気合が入りすぎました」。7-0の七回コールド勝ち。当時の本紙には「僕はすぐ調子に乗っちゃうんですよ」とらしいコメントが残る。その光景、表情がすぐに浮かんでしまうのが、パンチ佐藤という選手のすごいところだ。
川崎市の西中原中出身。本当は東海大相模に行きたかった。「原(辰徳)さんたちが、神奈川を4連覇したのを子どものころに見ていましたから」。先生に相談すると言われた。「佐藤、世の中には偏差値というものがあるんだ」。そして、武相に進んだ。
