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伝統校&公立編 78/100
最強世代の「努力の虫」 鎌倉学園・竹之内雅史

高校野球 | 神奈川新聞 | 2018年4月26日(木) 02:00

鎌倉学園の歴代最強の代とも言われた1962年の代。秋季関東大会閉会式で、前列右から3人目が竹之内=1961年11月6日、平和球場
鎌倉学園の歴代最強の代とも言われた1962年の代。秋季関東大会閉会式で、前列右から3人目が竹之内=1961年11月6日、平和球場

鎌倉学園の歴代最強の代とも言われた1962年の代。秋季関東大会閉会式で、前列右から3人目が竹之内=1961年11月6日、平和球場
鎌倉学園の歴代最強の代とも言われた1962年の代。秋季関東大会閉会式で、前列右から3人目が竹之内=1961年11月6日、平和球場

 北鎌倉の山を切り開いて造った鎌倉学園のグラウンドに、右翼はない。

 「俺らの時なんてもっと狭くて、もう二塁のすぐ後ろから山の斜面になっていた。球拾いは山に入って待っていたんだから。内外野の連係なんてまったくできないよ」

 大阪まで訪ねて行くと、伝説の強打者は豪快に笑うのだった。

 竹之内雅史(73)は1962年度卒。社会人野球を経て、67年に西鉄ライオンズ(現西武)からドラフト3位で指名された。鎌学からプロで大成した最初の選手だ。

 「日本一当たった男」は記憶に残る選手だった。まさかり打法や振り子打法、猫背打法など独自のフォームを実践し、野球少年がこぞってまねた。西鉄から阪神を経た15年の現役生活で通算216本塁打を放った。

 勝負強くて内角攻めも恐れない打撃で、通算166死球をぶつけられた。2003年に清原和博(元巨人など)に抜かれるまで、20年以上日本記録であり続けた。

 現在は大阪の羽衣国際大学(近畿大学リーグ3部)で総監督を務める竹之内は、目を細めながら昔話を続けた。

 「俺が鎌学に入った年はね、『3カ年計画』の最初の年だったんだよ」


現在の鎌倉学園のグラウンド。右翼側は外野手の定位置もとれない狭さで、崖が迫っている。竹之内さんの高校時代は、もっと狭かったという。
現在の鎌倉学園のグラウンド。右翼側は外野手の定位置もとれない狭さで、崖が迫っている。竹之内さんの高校時代は、もっと狭かったという。

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