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伝統校&公立編 75/100
異色キャリア歩む「公立の星」 川和・加藤幹典、多摩・小林至

高校野球 | 神奈川新聞 | 2018年4月20日(金) 02:00

【写真左】川和の加藤幹典氏【写真右】多摩高時代の小林至氏(小林至氏提供)
【写真左】川和の加藤幹典氏【写真右】多摩高時代の小林至氏(小林至氏提供)

 全国最激戦区の神奈川にあっても、公立校からプロ野球への扉を開けるのは容易ではない。進学校から最高学府を経て-となればなおさらだ。多摩・小林至と、川和・加藤幹典はその「難関」を突破し、夢舞台へ進んだ。異色の2人の野球人生とは-。(敬称略)

 東大から史上3人目のプロ入り。引退後はソフトバンクの球団幹部を務め、大学の教壇に立つ。異色の経歴を歩む球界の風雲児、小林至(50)は、勉学でも野球でも決して非凡だった訳ではないという。

 進学校の多摩高で、野球部レギュラーの座をつかめなかった。高校野球での「一番の輝き」は、2年夏の神奈川大会2回戦の代打。高めのボール球にバットを出した二塁打は「感触ゼロ。バットの芯を食った時って何も感触がないんだよね」。野球少年そのままの笑みで感慨に浸る。

 「ここが僕の最初の野球場でね…」。ペンを手にすると「教授」の顔がのぞいた。野球人生の出発点を事細かに紙の上に描いていく。


高校3年夏、神奈川大会開会式で入場行進する多摩の小林(左から12人目)。レギュラーではなく、注目されることもなかった=1985年7月13日、横浜スタジアム
高校3年夏、神奈川大会開会式で入場行進する多摩の小林(左から12人目)。レギュラーではなく、注目されることもなかった=1985年7月13日、横浜スタジアム

 実家近く、横浜市鶴見区の総持寺周辺の路上が最初の野球場だった。ベース代わりに石を置いて、向かいの公園に届けばホームラン。中学には野球部がなく有志の野球チームをつくった。だが、ようやく入部した多摩高校の「野球部」では、強豪私学さながらの上下関係が待っていた。

 先輩たちの理不尽な“慣習”に、1年時は「辞めること」だけ考えていた。練習を休むために進級ギリギリのラインで欠席し、堪え忍んだ先に「楽しくてしょうがなかった」という上級生の自由を獲得した。

 存在感をチームで示したのは2年春。しかし実戦ではなく、県大会3回戦で対戦する桐蔭学園のエース志村亮の対策として、打撃投手で「志村役」を務めたときだった。

 結局、桐蔭のエースは温存され、その試合も五回表を終えて0-12。だが“最終回”に志村が登板した。「気取ってんじゃねえぞ」。待ってましたとナインはベンチから大声でヤジを飛ばす。先頭の四球でお祭り騒ぎ。だが一塁走者は隙を突かれてけん制死。静まりかえり、試合は終わった。

神奈川が生んだ風雲児

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