1. ホーム
  2. スポーツ
  3. 野球
  4. 高校野球
  5. 世界で一つのドラマを 村越恵理佐さん 関東六浦元マネジャー

K100番外編
世界で一つのドラマを 村越恵理佐さん 関東六浦元マネジャー

高校野球 | 神奈川新聞 | 2018年3月31日(土) 02:00

村越さんがマネジャーを務めた1974年夏の神奈川大会開会式で入場行進する関東六浦ナイン =同年7月13日、保土ケ谷球場
村越さんがマネジャーを務めた1974年夏の神奈川大会開会式で入場行進する関東六浦ナイン =同年7月13日、保土ケ谷球場

村越さんがマネジャーを務めた1974年夏の神奈川大会開会式で入場行進する関東六浦ナイン =同年7月13日、保土ケ谷球場
村越さんがマネジャーを務めた1974年夏の神奈川大会開会式で入場行進する関東六浦ナイン =同年7月13日、保土ケ谷球場

 100回目を迎える夏の甲子園に向け連載中の「K100 神奈川高校野球」では、読者のみなさんから高校野球にまつわるエピソードや、思い出がつまった写真を募集している。今回は、1970年代に関東六浦のマネジャーを務めていた村越恵理佐さん=横浜市金沢区=が、選手を支えた裏方としての優しい思いをつづってくれた。

 72年4月、高校に入学してすぐに野球部の人に「高校野球が大好きなんですけど」と声をかけたことがきっかけとなって、野球部のマネジャーとなった。

 その頃、女子マネは珍しく、我が校でもけげんな顔をされた。当時の女子マネの仕事のメインは練習試合を組むこと。携帯電話はない時代ゆえ、毎日昼休みは10分で昼食を済ませ、10円玉が詰まったがま口と手帳を持って校内の赤電話に走り、練習試合の交渉。放課後も試合や練習場所の調整で行ったり来たり、部員の練習している姿を見に行くのは午後5時すぎだった。

 体力の限界に達しているのだが、「次の試合でも今みたいなプレー見せてね」と声をかける。たわいもない会話のできるグラウンドは一番好きな場所だった。監督、キャプテンから叱られるたびに退部届が私をよぎるのだが、途中で自然消滅してしまう。つくづく野球部が好きだと思った。

 友達と一緒に寄り道をして帰ることもなく2年3カ月が過ぎ、迎えた最後の夏の大会、少しでも長く試合をしてほしいと願うも、ベンチ入りは許されなかったので、バックネット裏でスコアブックを書いた。結果は慶応高校に0対7で負け。試合終了後に後輩から「加藤(私の旧姓)さんのために勝ちたかった」という言葉をもらいうれしくなった。部員の前では涙を見せなかったが、母に「マネジャーをやらせてくれてありがとう」と言えずにいると、母の方から「今までよく頑張ったね」と言われ、涙が一気に溢れて夏が終わった。

 高校卒業後は時間をつくっては神奈川大会を見に行き、結婚後は一時期、埼玉で暮らしていたが、tvkの中継が埼玉でも見られることを知り、神奈川の高校野球から遠ざかっていた私はわくわく。その後再び横浜に戻り、私の高校野球人生が復活しました。

 懐かしい母校を訪れ、野球部OB会(OGも含む)にも顔を出すようになり、いつの間にか幹事に。監督に懇願して現役時代にはかなわなかったベンチに入ってみると、子ども達の性格や葛藤が手に取るようにわかり、監督の采配やその場の空気も読める。“野球の母”だなあと勝手に思い込み、還暦を過ぎたおばさんは三つの顔の持ち主になりました。一つ目は、昔取ったきねづかで監督に進言するマネの顔、二つ目は、子供の体調や心をケアする母の顔。そして三つ目は母校を愛し野球部を応援するOGの顔。“第二の青春”をもらうことができました。今でも一番好きなところはグラウンド。

 県内の女子マネさんにエールを送ります。部員と共有したグラウンドが舞台。世界で一つしかないドラマを作って下さい。最後に、現役時代にお世話になった高野連の理事の先生方へ。自分のチームのマネジャーのごとく叱って下さった他校の先生が少なくなり寂しい限りですが、今の自分があるのは皆様のお陰と感謝しています。

投稿や写真は〒231-8445(住所不要)、ファクス電話045(227)0167、神奈川新聞社運動部まで送って下さい。問い合わせは電話045(227)0170。

K100に関するその他のニュース

高校野球に関するその他のニュース

PR
PR
PR

[[ item.field_textarea_subtitle ]][[item.title]]

野球に関するその他のニュース

アクセスランキング