

「よく覚えていますよ。いいゲームでしたから」。帝京を3度全国優勝に導いた前田三夫(68)が、滔々(とうとう)と語り始めたのは1987年夏の名勝負。甲子園で“京浜決戦”と呼ばれた、横浜商(Y校)との3回戦だ。
「Y校とは練習試合をする仲。走攻守そろって畳み掛ける。公立という印象は全くありませんでしたね」
Y校先発は2試合連続完封と波に乗る2年生古沢直樹。帝京のエース芝草宇宙(元日本ハムなど)も前の試合でノーヒットノーランを記録。戦前の予想通り、両者譲らぬ投げ合いとなった。
七回に1死一塁から送りバント、中前適時打で帝京が先制。そのまま逃げ切るか-。
Y校は最終回。1死から滝沢貴弘が内野安打で出塁する。さあ同じように送るのか-。スタンドが固唾(かたず)をのんで見守っていたグラウンドで、まさかの出来事が起こった。
芝草がマウンドから一塁手に近づくと、そのミットにボールを忍ばせた。
「隠し球、やるか」
「やろう」

そんな2人のやりとりを知る由もないY校・滝沢は、一塁ベースを離れてタッチアウト。貴重な同点走者を一瞬で失い、百戦錬磨の監督・古屋文雄も「ベンチのミス」と天を仰いだプレーだった。
この結末に、前田も驚くばかりだったという。「僕も最初分からなくて。練習でもしたことがなかったから」。ただ、芝草らの「ひらめき」をこう理解した。「Y校の強さは粘り。1点差はきついと彼も感じていたはずですよ。隠し球自体は悪いことではない」
とはいえ、アウトにした後、得意げに頭を人さし指で指した一塁手には「バカヤローって怒りましたよ。頭使ったってポーズをして。高校生らしくない」。学校にも「何をやってるんだ」というクレームの電話があったという。